第1回受賞作である「玻璃の家」の作者の松本寛大(まつもとかんだい)さんに,正賞のトロフィーと福山特産品が福ミス実行委員長である羽田皓福山市長から贈られました。合わせて優秀作の水生大海(みずきひろみ)さんにも賞状と福山特産品が贈られました。
「玻璃の家」はすでに全国の書店で発売されておりますが,なんと,水生さんの「罪人いずくにか」も「少女たちの羅針盤」と改題されて,原書房よりこの夏に出版されることが発表されました。優秀作は今回特別に設けたものですが,島田先生と編集者,水生さんのご尽力により出版される運びとなったものです。松本さんと水生さんの今後のご活躍を心より願っております。
また,島田先生のご縁によりお招きできた綾辻行人さん,柄刀一さん,部谷京子さん,光原百合さんにもごあいさつをいただきました。
島田先生のご友人で,「玻璃の家」のカバーイラストを描かれている画家の石塚桜子さんからは100号の大作「地に足をつけて星をつかもう」をご寄附いただきました。
2007年4月の賞創設以来,2年間かけてようやく第1回事業に節目を迎えることができました。この場を借りて,島田荘司先生,講談社・光文社・原書房の編集者の皆さま,第1次選考委員の皆さま,島田先生のご紹介で福ミスにご協力いただいた皆さま,福ミスを応援していただいた全国の皆さま,そして何より,この新人賞にご応募いただいた作者の皆さまに対して心より御礼を申し上げます。
第2回事業も頑張ってまいりますので,今後とも福ミスをよろしくお願いいたします。
(福ミス係T.T)
更新日:2009年03月30日 Comment(0)
島田荘司選 第2回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞にむけて、第1回から再任した17名
と新たに加わった4名の計21名の選考委員に向けて、第1次選考についての説明会を行いま
した。
説明会では島田先生・光文社・原書房・講談社の編集者も交え,第2回事業に向けて前向き
な意見交換がなされ、非常に有意義な説明会となったと思います。この説明会に欠席された
選考委員の方には、後日説明会の内容を記録したDVDをお送りすることになっています。
第2回の応募締め切りまで残り約40日です。
たくさんのご応募お待ちしております。(福ミス係 T.T)
更新日:2009年03月30日 Comment(0)
福ミス第1回の受賞作『玻璃の家』(松本寛大作)が3月17日に講談社より刊行されました。
受賞決定後、島田先生の指導により推敲され、さらに充実した作品に仕上がりました。
「一読、この作はもう充分に傑作の領域にあると感じて、このような高度で緻密な本格ミステリー作品が、福ミスのような地方の小賞に投じられてきたことに感謝した」
と、島田先生絶賛のこの作品、ぜひご一読を!!
●あらすじ
アメリカ、マサチューセッツ州を舞台に、11歳のコーディ少年は、もぐりこんだ幽霊屋敷で、死体を焼く不審人物を目撃します。しかし、少年は「相貌失認(そうぼうしつにん)」の患者で、人の顔を認識できません。あいまいで影響されやすい人間の記憶や不完全な認識をこえて、少年の見たという「なんとも言い難い表情」の解明に、日本人留学生、若き心理学者のトーマ・セラが挑みます。
(福ミス係)
更新日:2009年03月26日 Comment(0)
島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞では、昨年10月に松本寛大さん作「玻璃(はり)の家」が受賞作に決定し、受賞作品が3月下旬講談社より出版されます。
実行委員会では、これを記念し、表彰式並びにささやかですが記念パーティーを開催します。
この催しに、ミステリーファンで参加を希望する一般の方10人(抽選)をご招待します。
参加者には、出版される「玻璃の家」を記念品としてプレゼント。ご応募お待ちしています。
とき・・・3月28日(土)午後4時~5時30分
ところ・・・まなびの館ローズコム 4階大会議室(広島県福山市霞町一丁目10-1 TEL (084)932-7265)
内容・・・表彰式、記念パーティー(軽食・飲み物)、受賞作品の完成本プレゼント
特別ゲスト・・・柄刀一さん(作家)、部谷京子さん(映画美術監督)
募集人員・・・10人 ※抽選
参加費・・・無料 ※会場までの交通費は自己負担
対象・・・市内外のミステリーファン(年齢制限なし)
募集締め切り・・・3月13日(金) ※消印有効
申し込み方法・・・往復はがきに、住所・名前・電話番号、最近読んだミステリー作品のタイトルを記入し後記へ。(返信用へも住所・名前を記入)
申込・問い合わせ先・・・福ミス実行委員会表彰式(〒720-8501広島県福山市東桜町3番5号 福山市教育委員会文化課内 TEL(084)928-1117)
更新日:2009年02月18日 Comment(1)
10月17日より福山市鞆町で開催した「龍馬・鞆の浦ミステリー探検」が11月24日で終了いたしました。鞆の浦歴史民俗資料館での特別展「坂本龍馬といろは丸事件」と同時開催ということもあり、全国からたくさんの龍馬ファンの方にご参加いただきました。また開催期間中に、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」の主役が福山雅治さんに決定したという報道もあり、多くの方に関心を持っていただけました。
10問のクイズは島田荘司先生に作成していただきました。「難しい」というご意見もありましたが、「わからない所は地元の方に尋ねた」という方も多くいらっしゃったようです。
応募総数は1,330通で全問正解者は1,136名(正解率85.4%)でした。北は青森から南は沖縄まで、たくさんのご応募をいただき、本当にありがとうございました。正解者の中から抽選で50名様に「直筆サイン入り島田荘司展図録」「保命酒」「ちくわ詰め合わせ」「下駄」「ばらグッズ」「備後絣グッズ」をお送りします。なお、当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます(12月上旬を予定しています)。
問題1 龍馬サポーターの謎 【正解 ③】
看板の隣に立っていた石柱に「桝屋」の文字があります。坂本龍馬はじめ海援隊隊士たちは、この桝屋に宿泊し紀州藩との交渉に挑みました。当時そのままに残る「龍馬の隠し部屋」は一般に公開されていませんが、今年4月に島田先生は現当主のご配慮により特別にご覧になられています。
問題2 対潮楼の謎 【正解 ①】
右から「日東第一形勝」と読むと意味が通じます。ここからの眺めはすばらしく、正徳元年(1711)李邦彦が書いた「日東第一形勝」の大毫が今も残っています。この対潮楼は「朝鮮通信使関連遺跡 鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されており、朝鮮通信使は11回鞆に寄航したことが確認されています。
問題3 紀州藩の謎 【正解③】
いろは丸事件の折、紀州藩が宿舎として利用したのがこの円福寺です。現在は鞆の町と陸続きになっていますが、南北朝時代は島であり、大可島城として合戦の舞台ともなりました。ちなみに境内の墓地には全国的に有名な「仁丹」の創始者の墓所があります。
問題4 談判会場の謎 【正解 ①】
鞆でのいろは丸事件の談判は、魚屋萬蔵宅で行われました。鞆の浦での談判は4日間行われ、その後舞台を長崎へと移します。この建物には談判跡が復元され、今では宿泊施設として利用されています。また、通りから見える2階のステンドグラスは、2ヶ月余り鞆に滞在して「崖の上のポニョ」の構想を練ったといわれる宮崎駿監督がデザインしたものです。
問題5 鞆港の謎 【正解 ①】
常夜燈付近で今も見ることの出来る雁木は、潮の干満に関係なく荷の積み下ろしができるようにする階段状の施設です。潮の引いたときにここに座って眺める港の景色も素晴らしく、ミステリーマップに載せた島田先生のスケッチも、この雁木に腰掛けて描かれたものです。
問題6 保命酒の謎 【正解 ③】
杉玉は造り酒屋の軒先に吊るすもので、その年の新酒の仕込みとともに制作し、葉の色の変化が熟成の度合いを表すと言われています。出題ポイントとなった太田家住宅には、保命酒を造っていた江戸時代の商家や、醸造・貯蔵のための建物群が残されており、国の重要文化財に指定されています。また、幕末には京を追われた三条実美らが立ち寄っており、「鞆七卿落遺跡」として広島県史跡にも指定されています。
問題7 いろは丸積荷の謎 【正解 ②】
龍馬は、いろは丸に最新式の銃が400丁積んであったと主張し、紀州藩から多額の賠償金を獲得します。しかし4回にわたって実施された推定いろは丸の水中考古学調査では、銃はおろか銃の部品すら見つからず、銃を運んでいた証拠は見つかっていません。実際に海底から回収された船体や積荷の一部は、「いろは丸展示館」に展示されています。
問題8 常夜燈の謎 【正解 ②】
常夜灯の側面に「安政六年」(1859年)の年号が刻まれています。ということは、龍馬も全く同じものを見ていたことになります。海援隊での初航海でいろは丸を失ってしまった龍馬は、いったいどんな思いでこの常夜燈を眺めたのでしょうか。現在は鞆のシンボルとして多くの観光客で賑わい、地元では「とうろどう」とも呼ばれています。
問題9 鞆の浦をめざした謎 【正解②】
これは出題ポイントが離れており、現地に何もないため、少し不親切な問題だったかもしれません。焚場(たでば)とは、船底をあぶってフナムシなどを取り除き、船底を乾燥させて船を長持ちさせたり、船の補修をしたりするため施設です。焚場跡は部分的に試掘調査が行われ、砂浜の下に石敷きの焚場跡と見られる遺構が確認されています。この周辺は今も「焚場町内会」といわれています。
問題10 いろは丸沈没現場の謎 【正解②】
鞆の浦歴史民俗資料館の展望台前にヒントの地図がありました。空気の澄んだ日には、ここから瀬戸の島々と四国山脈が望めます。いろは丸は岡山県の六島沖で紀州藩の明光丸と衝突し、鞆への曳航される途中に宇治島の南方、北緯34度16分46秒、東経133度28分40秒の地点で沈没してしまいます。島田先生はこれらの地点も船でめぐりました。
更新日:2008年12月03日 Comment(0)
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