第12回 選考過程・選評応募総数86

第1次選考通過[25]|最終選考[3]|受賞作品[1]

受賞作

約束の小説森谷祐二

梗概

 医師の瀬野上辰史は、日本有数の名家である天城家の後継者として、かつて暮らしていた天城邸へと呼び戻された。雪深い、極寒の地にそびえ立つ、規格外の規模を誇る天城邸で辰史を待っていたのは、その帰りを快く思っていない者からの血生臭い警告であった。やがて警告は現実となる。陸の孤島と化した天城邸で起きる連続殺人。その謎に、辰史と探偵の新谷が挑む。

選評島田荘司

 「本格ミステリー」に要求される人工的な要素、物語執筆の前段階で仕込まれるべき設計図発想、俯瞰による知的操作が、最も感じられた小説がこれで、この手柄で前二作よりも頭がひとつ抜けている印象を得た。
 この小説の創作意図は明瞭で、序盤中盤は混乱させるが、最後の最後で合流させ、込み入り、もつれた全体構造を一挙に解体説明する、そういう意図で二つの世界を平行して存在させた俯瞰発想の妙にある。こうした設計図発想は貴重で、この設計図を完成した時点で、この小説は半分以上出来上がっていたといえる。ただしこれを文章化する段階で、幾分かの不手際はあったように見受けた。
 峡谷に架かる吊り橋一本でかろうじて人里と結ばれた、雪深い山峡に建つ古風な館、天城邸。その内部に怪しげな住人たちが暮らしており、祖先は子孫である彼らに、時代錯誤的な家屋敷相続上のルールを強制していた。女好きの前代の家長が、関係者の女性たちに無節操な触手を伸ばすもので、血脈が判然としないような煩雑さを呈してしまっている。定番の趣向だが、こうした人物配置は読書の前提でも名前等すぐには頭に入らないので、冒頭に図示するのが親切であろう。
 しかもこの家長にはある病的体質があって、これが血脈の混沌に、より深刻の度合いを加えてしまっている。そういう問題ある家長が没したから、彼の正妻の親友が産み、今は離れた街で医師になっている長男が祖母に呼び戻され、家長を継ぐように要請される。正妻の子ではないが、この家のしきたりでは、そういう点は問題視されない。ところが父親は、彼に家を継がせることには何故か猛烈に反対していた。これが謎その一である。
 まか不思議な人物相関の図に長男が分け入ると、これを待っていたように、彼を相続人として推していた祖母が殺され、帰還者の彼にも家から出て行けという誰からとも知れぬ脅迫メッセージが届くという、まことに定型の物語は開始される。
]  古色蒼然としたこの定型性に、またかと思わされはするものの、作者としてはこれは意図的に行っていることで、この小説の新しさは、そうした定型的物語の外郭部に別個の物語を置いて、両者を交互に平行して語ったところにある。その意味で、これはコード型本格のファンたちが渇望して久しい、館ものの二十一世紀改造形の登場であるのかもしれず、もしもそうであるのなら、「屍人荘」に継いで、多くのマニアによる喝采が待つのかもしれない。
 横溝=ヴァンダイン・タイプの母屋の展開と交互に現れてくるこの外郭部のストーリーは、一見したところ本筋とはまるで無関係で、登場人物も誰一人共通せず、延々と交わりそうもなくて、作者が何故こうした構造をとったかにしばし戸惑わされる仕掛けになっている。
 まずこの構成部分に、いささかの異議を感じた。ふたつの物語、外部のものの方は舞台に関する説明が少なく、屋敷内に意図的に似せられもするので、屋敷のどこか知られていない場所での描写かと思わされるのだが、これが楽しい戸惑いとは感じにくく、ひたすらの読みづらさに感じられてしまう。こうした紛らわしさをあえて演出する必然性は、この設計図の思想にはないと思う。作者にはおそらく、館型創作に殉じたいとする思いがあったと推察される。しかしこの作がこの作家の五作目であり、書き手の大ファンとなっている読者なら、情熱をもって作中に入り込んでくれるだろうが、処女作の読者の多くはそう親切ではない。読書のブレーキになりそうなものは、排除しておきたいと感じる。
 別世界の物語だとようやく説明が為されても、腑に落ちる快感がうまく現れない。この種のものを多く読んできた人間にも、いずれ先でこの二世界は交わるのであろうという予測が生じたり、こういう構造にした事情が薄々了解されてはくるものの、わずらわしい気分がわくわく感に勝り、これがなかなか消えずに後半まで引きずられてしまう。これではこの仕掛けにした意味が乏しくないか。
 製本される場合には、活字を変えるなどの手当も考えられはするが、この部分はやはり根本から改善を施した方が、作が傑作に近づくと感じた。二世界の違和感は、接近させてその紛らわしさで読み手をいらつかせるよりも、まったく色彩の異なる別世界を交互に展開させることで、脱横溝型の新鮮さや失見当識を演出する方が、読み手の推進力になるように想像する。
 母屋の横溝的世界は、よほど偏狭なコード型の偏愛者以外、少々時代遅れと感じるのが自然と思うから、その意味でもかたわらに置いたサイド・ストーリーをもっと独自的に光らせ、それ自体の存在感を強くして、新時代の本格なりのアピールを為した方が得策のように感じた。しかしこれは、この作者には議論であろう。現状でいけないということではない。
 その他の点では感心する要素も多かった。なんと言っても作者の医学の知識の深さには感心した。ストーリー全体に散らばって、このともすれば手垢のついて感じられる物語を、クリスマスツリーの銀紙の星のように光らせている謎の群れは、奇病に対するを含む、この作者の該博な医療業界の知識が作り出している。この要素は、この骨董品的世界にあきらかに新しい光を与えた。横溝流儀のおどろおどろしさが生き延びるヒントも示している。
 さらにもうひとつ言うと、終盤でのある行為によって、医師の長男が事件の重大な真相に気づくという脱常識の発想も、まことに新しいというほかなく、極限的抑圧の中に群像が蠢く横溝型に、思いがけない方向に開く出口を示唆した。今後もおそらく、こうした方向の館型は現れるであろう。館型は、どうやらまだ死んではいないらしい。
 この物語の背骨をなして全体を込み入らせたミステリー構造も、外郭部に存在し続けたサイド・ストーリーの理由も、全体を覆い続けたそうしたミステリーの霧を結部で一挙に吹き払ったものも、世のさまざまに珍しい病いに対する作者の、深い知識であった。この点は評価に値する。ただあまりに専門的なので、着地の部分で決めの言葉を聞いても、読み手はきょとんとしてしまって、霧は一挙には晴れないかもしれないが。
 『約束の小説』とタイトルに堂々と予告を明示し、いよいよ最終部、結部の結部において、見事に約束を実現してみせた構成には、背後でにんまりとガーツポーズを作る作者の表情が見えるようである。つまりこの小説こそが、『約束の小説』そのものであった。
 ただもうひと言だけよけいを言うと、それ以外の要素は平均的なものであったかもしれない。ひとつの遺体を、三十メートルばかり離れた別の建物に一挙に移す物理トリックを真剣に前面に出されたら、なかなか高い評価はできなかった。
 僻地で群像を構成する怪しい人物たちの描写も、元アスリートのお手伝いはなかなかコメディアン的魅力があって全体を引っ張るが、それ以外の人たちを説明する文体は、この作家に独自のものがあったにしても少ないと感じた。故に進行を担う文体は、時に平板である。
 またお手伝い女性の軽口も、だんだんに言いすぎて滑ってきたようにも感じられたし、はてこの人は、この先永遠に嫁にも行かず、家の備品のようにここに一生いる気かと疑うような、不思議な発言もあった。廓に見るような封建時代の感性と思われる。由伊の女心の訴えも、ずいぶん類型的で、いささか言わずもがななので、女性読者への説得性はこれで充分なのかと気になった。
 これらすべてが、これも設計図発想に起因する作者の意図の産物なのか否かは不明であるが、まるでレゴのブロックによるように全体を定型に構成し、これでかえって設計図の良質が目立ったし、結末部の驚きと感心は増したと思う。突出した医学知識を組み合わせ、これほど徹底して複雑な骨組みを組んだ能力には大いに感心したが、これもまた医学レゴという新型のブロックであったろうか。

最終選考作品

アイアンレディ上田みらい

梗概

 かつてはアイアンマンレースを完走するほどの気力と体力を持ち合わせていた志真子だったが、いまではすっかり生きる気力を失くしていた。現在七十五歳、志真子は一日に映画を三本観ることのみを生きがいにして生きていた。
 ある日、志真子の庭に猫が現れ、志真子は猫を放し飼いにしていることを抗議しようと飼い主を探す。ようやくその猫を飼っている家を突きとめるが、その飼い主はちょうどその頃、自殺したことを知り、志真子はショックを受ける。飼い主の名前は奥村千代子で、志真子と同じ七十五歳だった。
 なぜ奥村が自殺したのか気になり、志真子はそれを突き止めようと思う。本気でこの件に挑むことを決意し、志真子は探偵になることにする。そうすれば本格的に調べられると考えたからだ。探偵になった志真子は、奥村の息子に依頼人になってもらい、奥村の過去を探っていく。

選評島田荘司

 この小説には非常に驚き、感動もした。七十五歳の後期高齢者のそれも女性が、自宅の庭でiPadで映画を観るだけの生活に退屈を感じて、公安委員会に申請を出して私立探偵になり、体を張って悪人とアクションを演じるなどという小説は、長く賞の選考委員をやっているが、今まで一度も読んだことがない。北方謙三も書いたことはないであろうし、探偵の性別と年齢を考えたら、ギネスブック級であろう。
 ただし当作、残念ながら受賞相当の域には届いていないと感じた。これは続く『エイリアンシンドローム』もそうなのだが、二作ともに読んでいるのは楽しい読書であるし、表現も達者で、ユーモアもこなれておとなのものであり、物語を述べて行く文章も充分に上質であるのだが、選者が考える「本格ミステリー」としての要件を充たしていない。両者ともに共通の未達成があった。
 それはこの小説の場合、展開のはちゃめちゃぶり、それはたとえば主人公志真子がにわか探偵になってイタリアに調査に行くのであるが、主人公はイタリア語がまったくできず、行きの飛行機の中でイタリア語会話の入門書をざっと読むだけでイタリア人関係者に会いに行く。通訳を雇うでもなく、ボディガードを考えることもしない無鉄砲ぶりである。
 後半は銃撃戦になり、床下を這って逃げる七十五歳の女探偵に向かって床上から発砲があり、腿に二発、肩に一発食らうのだが、痛がりもせず這い廻ってのち病院に入り、さっさと治ってしまう。アイアン・レディというよりも、これはAIかターミネイターのごときタフぶりで、いったいどういう銃の何口径で撃たれたものかと真剣に悩んでしまった。他賞なら、常識的にこれを傷と主張する選考委員も出そうであるが、私の言っている未達成は、そういうことではない。
 主人公は庭で映画を観ることが唯一の楽しみらしいが、ここに期せずして回答が語られている。ヒッチコックはかつてこう述べた。映画作家として、本格物に興味はない。映画でそれは説明できない。映像に必要なものはサスペンスのみである──。これはヴィデオもDVDもない時代の発言で、現在は若干修正の要があるとは思うが、すなわちこの作は、まさしくそうした構造を持っているということである。
 この作の美点は多いと思う。それも、女性ならではの視線や感性からくるもので、きちんと手入れをしている自分の庭に、どこの飼い猫とも知れぬ白い猫がやってきては植えた植物を荒らし、糞尿をまき散らす。匂い公害を作り出す。財布を傷めてあれこれ防御の対策を講じるのだが、猫は簡単にこれらを乗り越えて狼藉を繰り返す。腹が立つのでこの猫を追跡して飼い主を突き止め、ひと言文句を言ってやりたい。
 こうした自己防御への前のめり情熱は、女性ならば共感は容易であろうと思う。そして猫を追って町内を必死で駈け巡る女主人公に強い吸引力を感じ、結果と首尾に猛烈に興味が湧くのは人情であろう。
 そして苦労の末についに猫の家を突き止めたら、あきらかに住人とは思えない怪しげな黒服の男たちが五人も家の中にたむろしており、家主の主婦は自殺したと言う。表札を見れば巣立ったわが子の友人の家で、死んだ主婦は面識のあった女性だ。
 そこで今度は彼女の自殺の理由を突き止めたいという新たな欲求が湧き起こり、主人公の次なる行動が猛然と始まる。わずらわしい詮索の目をかわし、行動の便を図るため、面倒だとばかりに私立探偵の資格を取得し、イタリアに飛ぶ。調査を続けていたらさらに怪しげな組織に行き当たって、ついには国際的な謀略の渦中に飛び込んでしまう。
 このように作者の投影が歩みを進めていくことで、次々に新たな謎や敵に出遭っていって、活劇の興奮はいや増していく。こうした手法は、書きながら次々に難問を考案し、その背後を作り、主人公にぶつけていく筆法に思われる。というのも物語の進行が一本調子で二次元的であり、読み手の心性をえぐるようなとてつもない前方の段差とか、これまでの発想を超越した度肝を抜く謎、途方に暮れるような大型の難関構造物等々が現れてこないからである。そしてこうした想定外が実は伏線であり、辻褄を合わせながら背後でつながって行くあの気配もない。これまでの行動を延長して、おおよそ予想されるような難関が行儀よく前方に現われていく。これは映画のストーリーにはよいが、渾身の本格創作のものではない。
 こうした評価は否定一方のものではなく、この書き方はたとえば内田康夫さんなどは採っていると公言しており、自然主義に近い、むしろ正当的なものである。一本調子である方が文章にリズムが出やすいし、読みやすい物語にもなる。売れっ子作家になったなら、この手法の方が一般受けしやすいし、ポテンシャルある読者の好感は得やすい。プライドのある読者は、作家に自分の頭脳が根こそぎ翻弄されるような経験は好まない。ただしこれは書き手への彼らの上から目線ではあるので、警戒心は必要であるが。この習作も、デビュー後の作家が、小説雑誌に急ぎ依頼された原稿というならば、満点解答とも言えるであろう。
 しかし本格としての力作を目指すなら、物語を書き出す前に、書き手は必ず事前になんらかのたくらみを創り、隠し持っておく必要がある。主人公の道行きに、作家は淡々と筆を費やすが実は同化してはいず、主人公が決して想定していない背後事情を、舞台背後の書き割りの陰に隠して、絶えず取り出す好機を狙っている。これが結末での驚きのタネになるし、初段中段の無数の伏線も生み出していく。
 つまり本格のミステリー小説とは、突き詰めれば「驚きを誘導する装置」のことで、この種の小説が人生を生きて行く上での教訓を読み手にもたらしたり、時に深い感動をともなうとしたなら、それは読み手の度肝を抜いたり、失見当識を起こさせたりするこの驚きとともにあるということである。そしてそれ故に深い印象を刻む。本格ミステリーの魅力とは、ここにある。
 先に述べた、自然主義的筆法によるミステリーには感動がないということではない。この方法でも感動は起るし、驚きは作り得る。しかしその方法なら出たとこ勝負になりやすく、作れる時もあれば、作れない時もあるという結果になる。すなわち、傑作出現の歩留まりは低くなる。
 高い確率でこれを導こうと思うならば、執筆開始前の設計図発想が必ず必要ということで、それでも百%とは行かない。しかしここに作家の頭が届くならば、筆法を自然主義に拘泥していてはむずかしい。小説に、人工物としての要素を大いに分け入らせることを自覚しておく必要がある。

最終選考作品

エイリアンシンドローム大友一滉

梗概

 埼玉県警捜査一課、強行犯係の刑事,神山は,アルコール依存症専門病棟に入院していた。神山はそこで知り合った患者,相原勇吾に催眠療法の立ち会いを頼まれる。これを了承した神山の立ち会いの元,精神科の担当医,丸山沙織によって相原は催眠状態に入る。そこで相原は,飲酒の原因となった中学生の頃の壮絶な体験を語り出した。それは地元の岩手県に存在しているという,UFO基地の内部を,同級生の空木征哉と崎本純次と共に探索したという驚愕の内容だった。無人の廃墟と化したUFO基地には,寂れた商店街と廃れた公園があり,その先に巨大な団地があった。団地を過ぎると原っぱがあって,その中に墓場がある。突然その墓場から電子音が響き,三人が墓場の中に入って行くと,突然絶叫が轟いた。恐れながらも三人が奥へ進むと,大木の袂で数人の人影が,なぜか足元の地面を掘っていた。怖くなった三人はすぐに引き返すが,崎本だけが逃げ遅れる。無事に逃げきれた相原と空木がUFO基地の外で待っていると,漸く帰って来た崎本は言った。自分はUFOにさらわれていたと。催眠状態の相原は,更にこの体験から数年後のことも語り出す。三人が車で初詣に向かっていると,不審な黒い車に追いかけ回され,そして強烈な光が車内を貫いて車が揺れ出し,とそこまで語った所で,激しく相原は取り乱した。その為,そこで催眠療法は中止となった。相原はその後すぐに途中退院したが,河川敷の円形状に倒れたススキの上で轢死体として発見されてしまう。更にUFOにさらわれたと証言する崎本も,密室状態の自室アパート内で,胸にナイフが刺さった状態で発見される。神山はアル中の寄り合いで知り合った,頭脳明晰の美青年,教授と一緒に,UFO基地の調査へ向かう。そこでUFO基地の謎は見事に教授によって解明されるが,しかしその後,相原の催眠療法を行った医師で,神山も密かに憧れていた丸山沙織医師が自殺してしまう。神山は事件を解明する決意をし,UFO基地へ行った三人のうちの唯一の生き残りである空木征哉を尋ねるが,なんと空木は少年院を出たばかりだという。神山が空木が少年院にいた理由を知ったとき,漸く彼にも事件の全容が見え始めるが,そのとき不審な車の影が彼らの背後に迫り,危うく神山達は轢かれそうになる。警戒するよう促す神山に対して,空木はこれをメンインブラックの仕業と信じて疑わなかった。
 神山はその後,治療プログラムを無事終了する。そして病院を出た所で,意外な人物が彼を待ち受けていた。神山はその人物に,自分が辿り着いた答えの全てを明かすのだった。

選評島田荘司

 この作品も、『アイアン・レディー』と背景は異なるが、結果として執筆前の仕込みが不充分となった点が共通している。そのために二次元的で一本調子の物語となり、本格ミステリーの装置としては、驚き少なく、いささか弱い構造になった。
 この作の場合、事前の準備はあったのだが、関心がただUFO事件に集中している。宇宙人との遭遇が現実であったかのごとく見せてトリック描写をするという、この一点にのみ情熱を集中するあまり、ミステリーとしてはそれ以外の何ものも用意できなかった。
 中学時代に育った岩手県の山間部に、仲間が噂するUFOの発着基地があり、冒険仲間を募ってこれを確かめにいくと、暗い空間に浮かんだ宇宙人から、肌が焼けそうな火の粉の攻撃を受ける。宇宙語を話している集団に遭遇して追われ、逃走中にはぐれた仲間の一人はUFOの中に拉致され、身体検査を受けた上、脳内にチップを埋められる。
 成人後、基地探検の仲間の一人が河川敷で自分の所有する車に轢かれて死亡した。彼の遺体は草をコンパス的な円状に倒して作ったミステリーサークルのただ中に置かれていて、ミステリーサークルはUFOの着陸跡だから、彼は宇宙人に殺されたと考えられる。
 こうした神秘的な外観の諸事件を、教授と呼ばれる人物が登場してさまざまな理屈を駆使し、解体していって、ことごとく日常的な風景に戻してしまう。これらはすべて、実はなんでもない日常的な出来ごとを人間が錯覚したのだと解く。UFOを欲しがる人の心理が作り出した幻だ。
 この説明の部分が、この小説の最大の読ませどころなのだけれども、率直に言って弱いと感じた。こうした謎解きを丹念に読まされても、胸のすくような快感はない。なるほどと快哉を叫び、世界が変わってしまうような強力な驚きはない。そもそも宇宙人との遭遇を語るミステリーは、それをすっかり事実としてSF展開に入っていくか、そうでなければさまざまな理屈を動員して、ひとつひとつ錯覚だと言いくるめていくか、その二通りしかない。五〇年代ならいざ知らず、今日のわれわれはさまざまなUFO映像を見て免疫もついているし、この小説はSFではないと心得て、おおよその予想を当初から持ってしまっているので、頑張った解体説明を聞いても、ああそうですか、まあそんなものでしょうなという程度の感想しか湧かない。これは、この種の趣向の弱いところで、この習作は、そういう宿命を持ってしまっている。
 解体のプロセスで、殺人事件の解明も為されはするが、乱暴に言えばこのミステリーはそれだけの構造で、あり得ないと思われたSF的な視界が、実はごく日常的な出来ごとの勘違いだったと説明されるだけの小説、と言えないことはない。あらかじめ提出されている宇宙人遭遇の風景以外のミステリーが、ここに追加される気配はない。
 しかし、こうしたストーリーの当小説が、読み物として詰まらないものでは決してなかった。本格ミステリーとしての構造はまことに陳腐一歩手前の達成にすぎないが、人間ドラマとしては読んでいるのが楽しく、挫折群像の切ない空気を作中いっぱいにたたえて、ある種の教訓に充ちた、貴重で心動かされる読み物になっていた。
 UFO基地を探検に行った仲間たちは、この恐ろしい記憶を忘れるために中学時代から酒を飲みはじめてアルコール依存症となり、成人してのちはアル中者更生施設に収容される。そこで一人のアル中患者と知り合うが、彼は捜査一課の刑事であった。
 神山という名の彼は部下を持つ身に昇っているが、アルコールで失敗して転落し、更生施設に入所して無聊を囲い、己の意志の弱さや力の不足を嘆きながら、別れた妻に懺悔を思う無力な患者と化している。そこに轢殺事件の発生で刑事課の部下たちが施設に聞き込みに押しかけてきて、中の一人は内心の軽蔑から早々と神山に背を向けるが、誠意的に接してくれるもう一人には羞恥心から顔が上げられない。そういう様子には思わず胸が詰まる心地がした。
 ミステリー好きのアマチュアの、しかも歳下の若者に、刑事事件のカラクリを諄々と解説されてそれをおとなしくうなずきながら聞く神山刑事のしおれた様子や、美人で魅力的な精神科医丸山に親身にカウンセリングをされ、ついに抗しきれず涙で顔中を濡らしてしまう体たらくは、笑い対象一歩手前の男の完璧な悲劇で、こういう人生も無理からぬもの、あり得るものと感じて心を動かされた。
 神山は確かに失敗した転落人間であろうし、力も不足していた。努力も不充分であったかもしれない。が、少なくとも有害な人間ではない。警察官らしからず、若輩に対しても威張る方法を知らない人物だ。更生施設の歳下の仲間のUFO体験を、聞けばたやすく信じてしまうほどに好人物であり、河川敷の草がコンパス的円状に倒されており、これはUFOが着陸した跡で、ミステリーサークルと呼ばれるのだと説明されれば、それをたちまち信じるほどにお人好しである。刑事には向いていないかもしれないが、世の中にはこういう人間も必要である。
 彼程度の怠惰にからめとられた落ちこぼれは世に無数にいる。意志が弱くてどうにも酒が辞められなかったのであろうが、それをいったい誰が責められるのかと、読んでいて本心から思った。
 美貌の精神科医、丸山沙織も魅力的に描かれていて、この作者はこういう方向の筆力には天分があると思われ、一般小説としてはこの作は、なかなか良質の読み物であった。

第1次選考通過作品

カルネアデスの板林市涼太郎

選評担当編集者

登場人物が殺人事件に対してまったく感情を乱さず、いきなり犯人捜しをはじめたり、「殺し合いなさい」という提案を飲んだりと、リアリティがなさすぎます。説明が何度も繰り返されるほか、同じ表現が散見されるなど、語彙力の乏しさも感じました。

第1次選考通過作品

狩りの町小池康弘

選評担当編集者

まず日本での狩猟と銃器の世界をリアルに描写している点で目を惹きました。娘を殺した熊への復讐から展開していく「風呂敷」は、既視感はあるものの、また一層の整理が必要とはいえ他にはない面白みを感じます。ただ主人公の思考が単純、というか物語の筋そのものという感じが強く、もうすこし作者の「物語を進めたい」という意識を引っ込めた方がいいのでは。また、集落の「血の問題」には拒否反応を示す人も多いでしょう。会話文の拙さは評価を落としてしまうので、いろいろな作品を参考に考えてみてください。

第1次選考通過作品

グッバイ、タイムマシン哀田徹

選評担当編集者

冤罪からの救済、タイムマシン、探偵、賞金稼ぎ、霊媒師など、要素が多すぎたように思います。また、主人公の正体が都合よく、ばれたりばれなかったりすることに違和感を感じました。

第1次選考通過作品

真相崩壊伊達俊介

選評担当編集者

近年ますます多くなっている自然災害を扱っている点をおもしろいと感じました。しかし、なぜこの時代設定なのかを疑問に思います。これ以降にも、震災も豪雨も発生してるからです。また、登場人物の言動が、ひと昔もふた昔も前のもののように感じました。今の物語になるよう、アップデートをすべきだと思います。

第1次選考通過作品

ガウスは女王と誰が為に紫月悠詩

選評担当編集者

長編ミステリで、物語の半分まで事件が起こらないのは致命的です。事件後も、延々とアリバイ談義をしているだけでは、読者は退屈してしまうでしょう。「そっくりな人間を見間違えた」という真相はややアンフェアに感じますし、数学の蘊蓄も長過ぎます。