第一次選考通過[ 29 ] 最終選考[ 3 ] 受賞作[ 1 ]
梓凪子は、三十三歳の独身、国体出場経験のある俊足だけが取り柄の元女性警察官。上司との不倫の末、証拠を捏造するという罪を犯し、退職させられた過去を持つ。
今は大手町興信所で、浮気の調査員として働いているが、調査員になって四年目を迎えた十二月、甥の梓輝也が百貨店の屋上から飛び降り自殺をしたとの知らせを受けた。
葬儀の席で、凪子は姉の未央子から輝也が死んだ理由を突き止めて欲しいと頼まれる。凪子を含めた三人の弟妹を未央子は母親代わりになって育てた。そのせいで凪子は未だに未央子の呪縛から逃れられないでいる。
結局、未央子のいわれるまま、渋々調査を始める凪子。まず中学校に出向き、校長や担任教師、副担任と面談するが、苛めはなかったといわれる。輝也の小学校からの親友である澤下拓人からも話を訊こうとするが、少年は逃げ回るばかりで、なにも喋ろうとしない。
藁をも掴む気持ちで凪子は、警察時代の同期の達子を呼び出す。凪子が犯した不正を未だに怒っている達子は、非協力的だ。喧嘩別れになったが、翌日、達子からひとつの情報がもたらされる。
そんなとき、次姉雛子の娘で高校生の沙里が、輝也は苛めで殺されたのだといい出した。
馴れない事件捜査に戸惑い、焦り、ときに感情を暴走させる凪子だが、興信所所長と年下の同僚に助けられながら、一歩ずつ真相へと近づいていく。
女性ハードボイルドの収穫と評価すべき佳作。巧みな文章、的確な表現語彙の選択、ユーモアや皮肉表現の安定と達者ぶり、ストーリー進行上に配された喜怒哀楽の巧みなバランス、傷もなく、大きな不満も感じず、怒りと暴力表現も必然的で、着地まで一気に読むことができた。
暴言暴力が世を騒がす新世紀、社会進出女性へのこの国の偏った行儀強制の虚構が露見、崩壊し、反動も手伝って、ついに女性版のハードボイルドが、これだけの完成度を持って登場してきたことに、思わず満足の笑みとともに拍手を送る気分になった。日本になみいる男性ハードボイルド作家の友人たちは、この作をどのような気分で迎えるのであろうか。読ませるのが楽しみではある。
個人的意見だが、彼らの定評作に比しても、この習作はいささかの遜色もないと感じる。とりわけ彼らが大事に感じている闘争の気迫と、肉体の描写において、充分肩を並べて感じる。ただし美学とやらには、「女の美学」とやるには大きな違和感だが、この作者はそういう点にはまるで興味を感じていない。女性世界の時に低次元のどろどろこそは望むところ、ここにこそ事件解明のキーがひそむとばかりに敢然と足を踏み入れる。
性的な武器を用いることなど夢想もしない女性私立探偵が(もっとも敵が大半女なのでその必要もないが)、ただ聞き込みのフットワークと、推理の頭脳、あるいは女性世界の経験則を最大限に活用し、男の加勢など頼まず、大いに体力で難事件をねじ伏せて見せたことに、やはり驚きと敬意を感じずにはすまない。
ただし序盤では、いささかの不安を感じかけたことはある。これも選者の個人的な好みと断るが、フェアプレイを守る強い女には好ましさを感じこそすれ、いささかの抵抗感もない。ただし彼女がある分水嶺を越え、嫌な女の側に転がり落ちると、それが中心人物なら、好意を持って長編を読み続けることに不安が生じる。嫌な女へ向かわせる多数の誘導的罠が存在するわが社会には、言動に女性自身の矜持が要る。
この作に関してそれを言えば、姉妹たちや親友との生々しい対立と、互いの問題点への遠慮のない指摘、そしてその的確さゆえ、不退転決意の者同士、厳しい口調の応酬となり、毎度そこに落ち込む理由の必然には、説明により納得させられる。親代わりを為した姉の、下方への恩の押し付け、姉のメンツと上から目線の発生だが、心ならずも未婚の母になった現在の姉の、道徳踏み外しゆえの上位者資格喪失の自覚、その強い苛立ち、下から見る妹たちによる姉のこの思考経緯の完璧な見抜き──、これらは女性世界の通例ながら国際政治にも似て発生を完了した悲劇であり、どこにも、いささかの救済方策も存在しない。命ある限り、ただ闘い続けるのみである。
主人公の、こうした女性らしい闘いに継ぐ闘いの日常描写は、あまりに殺伐としてやりきれず、主人公は気持ちが安らぐ同性の友人や、心性のんびりとしたボーイフレンドの一人も持たないのかと心配になる。しかし、精神に病いを抱えていく世の多くの女性たちの現実は、おおよそこうしたものなのであろう。救いを用意しがちのストーリーの方が、実のところ彼女らの口が日頃呼吸のように吐き出す行儀の噓に乗せられたもので、リアリティを欠いているのかもしれない。
心配は、この主人公が日常的喧嘩相手の女たちから離れ、職場たる興信所の年下男性を眼前にした時、この格別問題のない相手に対しても、やはり天敵の姉に対すると同様の見下しとおちょくりの視線を機械的、習性的に繰り出すことで、この地点こそは、あるいは嫌な女への滑落分水嶺かと、深刻な不安にかられたことだ。
世のこのような女性たちは、要するに座標軸不在の丁半博打体質で、無難な行儀嘘発言か、敵糾弾、この表裏でしか社会対処ができない。闘争女性世界から離れたさい、誠実で気弱な若輩男性に、この場合は自身にトクをもたらさないランクのオトコ、と単純看破して優越的な振る舞いを敷衍し、諾々と勝利を続けて、女性たちが言うところの「しあわせ」の入り口に次々と釘付けをして廻る、この梓凪子もまたそうした浅薄女かという不安、そうならこの作、意味の乏しい読書時間になるかという怯えが湧いた。
こうして周囲のすべてをみるみる敵にし、当然ながら生じる厳しい孤独の理由が解らず、ひたすら立腹するばかりで自身の問題点に少しも気づけぬ日本女性は世間に数多い。そしてこの嫌な女振る舞いこそは異性へのマイナス点であるから同性への超好感度になる、という悪循環が、わが社会にはいささか蔓延して、心ある男性を悩ませる。そしてこういう暴言女性を描くことこそは近代自然主義文学の王道、とする主張はたちまち予想されるのだが、ミステリーという文芸目的においてこれをやられるのはなかなかの問題判断で、これを俯瞰する救済視線の不在とか、あるいは先でのこちらの待ちぼうけを予想してしまって、読書はなかなかつらい予感になる。
しかしさいわい、作者はこれをしないでおいてくれた。最後段にいたり、最弱者の未熟ゆえの悲しみ、自身の無力への絶望、評価する者など見あたらぬ自身の密かな矜持、悲劇の底部に長くひそんでいた、こうした声にならぬ絶望の叫びが露呈した際、胸中にひそむ上から目線体質を封印し、身を挺してこれを聞きながら、全力で救い上げる優しさ、そして庇護する者として、体を張る力の行使を示して、見事な感動を作りあげてくれた。
全編に横溢する喜怒哀楽の具合のよい分散と均衡、物語進行の線上への巧みなこれの配列配線は、この暴力的な女の小説を、逆説的に、圧倒的に温かい読み物にした。このミステリーにおける最大の意外性は、実のところこれであったかもしれない。
この小説への不満があるとすれば、全体の構図が定型的にすぎることだろう。事件内容もそうで、学級内虐めによる子供の自殺、母親による報復の執念という事件の見え方は、またかという思いについかられはする。多くの読み手にとっても間違いなくそうであろう。
つまりは本格のミステリーとして、意外性の驚きの不足や、トリック不在の不満などだが、肉体派の主人公が女性であっても、この物語はアメリカ西海岸に発生した私立探偵小説の流れを汲むもので、おそらくは「梓凪子シリーズ」の起点となる性格のものに思われる。こういうものに、前代未聞の驚きや、トリック構造を期待するのは筋が違うかもしれない。巨匠チャンドラーのマーロゥ・シリーズを眺め渡しても、衝撃性やトリッキー要素は、おおよそこのくらいのもののはずである。ロス・マクドナルドの名作に衝撃作があったと記憶はするが、これは例外的な作例であるし、シリーズの一作目ではなかった。この作者も、将来においてはあるいは、そうした衝撃作をものにしてくれるかもしれない。
いかに定型、定番的であろうとも、この書き手にとってこの女性世界の描出は、それゆえツボ中のツボであり、作者の大いに自負するところであったように推察される。関係者全員に手際よく洞察の視線が届き、その心のひだにまで分け入って、描写は完全というまでの完成度を示す。そして感想の語彙群は的確の内にも的確で、また自信満々で誤りがないから、安心して読んでいられる。この作品の美点は、そういうところであろうかと思う。
高平佐和子はある事情によって手記を綴ることとなった。手記の内容は子どもの頃の思い出や双子の兄のこと、成長過程において自分の周囲に起きた様々な出来事についてだった。彼女が手記を綴る理由は彼女本人もわかっていない。ただ彼女はそれを綴り続けることで何かを打開したかった。
一方、不穏な会社に所属することになってしまった相沢信秋は、会社に関係した犯罪まがいの問題に巻き込まれている。彼の所属する会社の実質的なオーナーは、小比類巻と呼ばれる正体不明の男だった。相沢信秋は小比類巻に支配されていることを自覚している。小比類巻の悪徳を知りながら、そして彼におびえている自分を知りながら、その支配下から逃れることができないでいた。
浅倉弘和という少年も、いつしか小比類巻という問題に巻き込まれていくことになる。彼の問題は、一般よりも高い知能をもった少年であったことだった。その高い知能に最初に目をつけたのは、継母として浅倉家にやってきた彼の新しい母親だった。浅倉弘和の父親は会社社長であったが、その父よりも上に小比類巻という存在があったことを、彼は継母によって初めて知らされる。そして継母の小比類巻に対する想いに弘和は困惑し、彼女の思惑に強い抵抗の気持ちを覚えたのだった。
高平佐和子は最後の手記において、自分が現在、監禁されていることを告白する。なぜ監禁されたのか、誰に監禁されたのか、彼女は全くわかっていない。そして、もし幸運が訪れて、この手記を誰かが読むことがあったなら、事件を解明して欲しいと読み手に懇願する。それができなかったとしても、彼女は手記を兄に届けてくれるだけでもよかった。そして彼女の兄こそが、恐怖ダイナマだった。
恐怖ダイナマとは、高平佐和子の兄、高平長一郎の、子どもの頃の誤字から生まれた渾名のようなものだった。そしてその正体は、本人曰く「生かし屋」であった。ふらふらと外国を旅行していた彼は、帰国するとともにその「生かし屋」の座に再びつく。無責任で幼稚な高平佐和子の兄は、大人になってもまるで変わらず健在であった。
時間軸は次第に接近していき、高平佐和子と相沢信秋、浅倉弘和のそれぞれの物語は一つ箇所に集まる。そしてこれらの渦の中心にいたのは、恐怖ダイナマこと高平長一郎だった。
本格ミステリーとしてはきわめて異色の挑戦作。手法は中村文則氏の創作にも垣間見えた支配・被支配、あるいは傲慢な主人による、奴隷たちの人生の勝手な操作実験、とでもいえそうなゲームが狙われて見える。神にならんとする動機は、岩清水のように純粋な悪意。読み手がこういう営為をはたして抵抗なく受け入れるか、と作者はこちらに向かい問うている、それとも観察の目を向けているのであろう。
ミステリー・ジャンルに分け入った純文的な作為とも受け取れるから、この点には興味が湧いた。多用される難漢字も、あるいはこの意識のゆえか。いささか観念的な作風とも、あるいは言ってよいかもしれない。人工的にユニークな性質を付与された登場人物たちの立ち位置は、自然を装った人工的な配置とも見て取れ、これも面白い。
こういう作中のありようは、チェスとか将棋の盤上を思わせ、うごめく人物の動向は洗脳の産物に近いものらしく、この点も興味深い。すなわちこれは、わが文学のフィールドで長く歓迎されてきた自然主義趣味に照らしても、なかなかユニークな筆致であり、異色である。
「神の視線」という言葉が、小説執筆においてしばしば使用されるが、この作の創作意識はまさしく強められたこれで、はてこのように奇妙な支配的強制の構図が、現実の社会においても許容され得るかと疑うこちらの常識観念に、終始挑戦して来る印象。しかし作者は盤上の駒たちを、当作中においては自在に動かすことに成功している。つまりはある人物が、うまく神になっている。
面白いことには、これらの駒の動きは従来道徳には徹底して反抗的で、もっとはっきり言えば行動原理は悪意であり、彼らを動かす「神の意志」はより大きな悪意である。これがこの習作の大テーマと見える。
これは宗教までをも含んだこの世界の約束事に終始挑戦的と見えるが、それともすべての道徳や約束事は、糊塗された悪意だとする看做しがひそみそうだ。かつてのオウム真理教が挑戦的にもくろんだ、静かで、酸のように浸透的で、徹底破壊的な社会転覆の計画を思い出させ、こちらこそが支配神の性質と作者は主張したいように見える。
にもかかわらず、書き手の意識は絶えずユーモアをたたえて、終始シニカルな笑みの表情が上方にある。悪意はユーモアと相性がよい。こうした超常識の営為が、過去本格ミステリー系の賞に投じられてきたことは、選者としては記憶がなく、小事件に感じた。
述べたような構造を持つらしい創作だが、駒の配置は解るものの、自覚的にせよ無自覚的にせよ、動かされる側の行動心理が時に解りづらい。何故そう動くのかということ。これは神の側の計算や、背を押す偽の圧力の構築作業が、作中の動きにしばしば追いつかないゆえに思われて、いささか同調しづらい局面が時に生じる。
作者は、この劇の細部をどこまで創り込んでくれているのか、読んでいるこちらが不安になる。つまりは神の側の迷いとか、逡巡を感じる局面は、やはりこの図式的な人工物の場合は不手際ではあるだろう。
作の構図をあまり説明してしまってはいけないが、東京にある男がおり、彼には優秀な二卵性双生児の妹がいた。男は「殺し屋」が世にある以上、「生かし屋」が存在してよいと公言し、これを振る舞おうとする。しかし彼の胎内には「アクイ」と呼ばれるある心性、それとも寄生した別の人格が宿っている。妹は問題なく善良な性格で、頭脳明晰で成績優秀な、世間で敬意を示される人格である。
新潟に相沢という人物が存在し、彼は上京して女性をだましたりしながら、小悪人としての人生を開始する。ところが彼は、所属した会社の上位者、小比類巻に支配される。
東京にもう一人、朝倉という少年がいて、彼は天才的な頭脳を持っていたが、彼もまた小比類巻の悪魔的な頭脳と意志に巻き込まれ、自在に動かされて行く。
こうした不思議な体裁の駒たちは、国内にランダムに発生して見えたが、次第にひとところに集合させられ、奇妙な意志に支配されて動いたことに薄々気づいて行く。
その意志は何かと考え、各自探すのだが、見つけられないまま、彼らの最上位に君臨したものは、まるで予想しなかった外貌の神であったと知る。そして無数の駒がうごめく雄大な盤上を、大胆にも世に出現せしめた人物の動機はと問えば、きわめて個人的な実験であり、生かし屋の体内に寄生していた意識と通底、呼応するものであった。すなわちそれは、この世に純粋なアクイは存在し得るか、そういう観念的問いに突き動かされたゲーム創作であったらしい──? そうなら生かし屋という不自然な発想は、これを留め得る対極の駒として真の神が設計し、下賜したものらしい。
発想は面白い創作実験だが、ここまで大がかりなことを行うには、細部の印象が淡いことが次第に気になった。生きた駒たちが、この程度の強制に諾々と従うものか。オウム・レヴェルの巧妙な洗脳や、脅迫的段取りの手当が見あたらない。ヴェールを脱いだ神の存在は、意外性はあっても、その虚弱さはリアリティの喪失になり、構想上の模式図と動かし意図が、信じられるものにまでの背景の構築完了を、置き去りにしてはいなかったか。これが周到に出来上がっていれば、舞台裏が視界に入った際、その落差は脱力でなく、驚きにつながったはずだ。
すなわち、発想はよいのだが、盤上の手触りに、しばしば食い足りなさを感じた。とはいえ、うまくできている場所もおおいにあり、ユニークな挑戦作の醸す、異色の読書であったことは確かだ。
人質は半導体工場、身代金は真実!
麻薬取締官の栃埼光生は、千葉県の館山市にある養蜂場で、蜜蜂を使った大麻探知実験を行っていた。光生は、フィールド・ワークの最中に、大麻の栽培地を発見した。光生は、大麻の密売組織を追い詰めるべく、囮捜査を開始した。
光生は、仲間の取締官たちと共に、大麻を栽培している田村ボクシング・ジムにガサ入れを行った。田村の事務所で大麻と合成麻薬を発見する。光生は、合成麻薬の原料『GBL』の入手先の捜査を開始した。
光生は、田村ボクシング・ジムの金の動きを調査。半導体工場に勤務する大西康夫に、田村ジムから金銭が降り込まれていた。光生は、大西がGBLの横流しをしているのではないかと疑う。
一方、千葉県警サイバー犯罪対策課の橘真理は、千葉県館山市にある半導体工場がランサム・ウエアに感染したとの通報を受け、捜査を開始した。
真理は半導体工場を訪問して、状況を確認。工場の電子ファイルはすべて暗号化され、犯人は『真実を公開しろ』とのメッセージを残していた。
捜査のため真理は、半導体工場の内部(クリーンルーム)を見て回る。
途中で、真理は、工場に材料ガスを供給しているシリンダー・キャビネット室に閉じ込められた。室内には真理しかいなかった。ドアも開けられない密室だった。
突然、ランサム・ウエアが解除され、工場の制御系が乗っ取られた。
空気に触れると発火するガス(モノシラン)の漏洩が始まる。真理はガス爆発を食い止めるべく、シリンダー・キャビネット室にあるガスボンベのバルブを閉めた。
それでも、ガスは漏れ続け、工場は爆発した。
真理は捜査会議で、大西康夫が工場爆破に巻き込まれて死亡したことを知った。しかし、真理の捜査結果では、半導体工場にランサム・ウエアを感染させた最も疑わしい人物は、大西その人だった。
合成麻薬の密造と半導体工場の爆破が、大西を中心に繋がった。なぜ半導体工場は爆発したのか? なぜ大西は死んだのか? 真実とは何か? 合同捜査で、次第に真犯人を追い詰めていく光生と真理。二人の前に日本全国の半導体工場一斉爆発の危機が迫る。
事件とその解明の関係、また生じる教訓を象徴させるタイトルの言葉がよい。ITの専門知識を用いる職種の書き手なのか、なかなか高度な事件の仕掛けと、これへの専門的対処を描いている。こうした事件計画のアイデアはよいし、後段にいたり、専門知識人による解明への情熱と的確行動が、よく興奮とサスペンスを呼び、風景がみるみる力を宿して、作に生命感が宿る気配が立ち上がった。
しかし、話がここにいたるまでが、いかにも冗長に感じられてなかなか作中に入れない。すなわち、こちらを強く作中に引き入れてくれるエネルギーの熱が、展開説明の文体に不足する。芯のアイデアは悪くないのに、何ゆえにこうなるのか、この点の推察に逆説的に興味が湧いた。賞の挑戦作がうまく受賞に届かない理由を、この挑戦作はよく説明するかもしれない。以下で、若干解析的にこれを語ってみる。
最大の理由は、まずはこのミステリー小説、それともサスペンス小説という把握が妥当かもしれないが、何が最大の謎であり、作中の人物たちは何を目指し、何を達成せんと行動を開始するのか、の説明が前方において充分になされないことがある。作者自身がこのモーションに迷うようで、読み手たるこちらに、肝心なこの指示が伝わってこない。すなわち、自分が今何を目指してこの文字群を読んでいるのかが不明になる。
どういう展開と着地を期待してこの物語を読んでいけばいいのかという目的意識が、漫然と受け身を続ける限りは作れず、作中の語りは、謎→解決構造へのピントをなかなか合わせてくれない。ゆえに作者が今何を読ませようとしているのかのメッセージがストレートに伝わってこず、文字読みがなにやらだらだらと感じられてしまう。
これをしっかりと前段で提示、宣言し、のちに語りを始めるというミステリー小説の基本部分で、この作者が成功していないことが感じられた。もっとうまくないことには、そもそもこれが必要だとする認識が、この書き手には存在していないことが疑われた。都度都度、眼前が面白ければそれでよかろうとするような意識を感じる。
冒頭に、大麻草の匂いに馴染ませた蜜蜂に、群生大麻を探させる麻薬捜査の方法が語られるが、かなり詳細に述べられるので、この作は麻薬捜査の話かと思ってしまう。
しかしこれはそうではなく、遥か彼方の着地において、蜜蜂の住みやすい場所は人にとっても住みやすい場所なのだ、との教訓を犯人に語るための伏線と言うに近く、物語の中心軸たる刑事犯罪とはかなりの距離があることが、物語がずいぶん進行してのちに解ってくる。
こうしたエピソードの配置は、通常読み手の思いを混乱させかねないから、このあとに続けるメインの事件は、蜜蜂のこうした習性と直接的、構造的に関係する刑事事件の方がよい。さもなければ次のそういう事件を語る作品のために、この蜜蜂による麻薬捜査エピソードは温存しておく、などの冷静な作戦意識はあってよかったかもしれない。
この事件は、俯瞰的に骨構造を見れば復讐譚であり、これを為そうとする犯人への、ある人生転落者による友情的献身で構成されるから、復讐の起点となる事件、それとも協力者の転落のエピソードが蜜蜂より重要なピースとなる。よってむしろこちらを冒頭に示し、蜜蜂の習性を用いる麻薬捜査は、風景描写のような軽さに力を加減しながらその次に見せるとした方が、段取りは功を奏したのではないか。
どれもうまくいかないなら、蜜蜂を用いるこの捜査法は、今回の爆破事案の追究には直接は関わらない──、の事情説明を、さりげなく登場人物に語らせるなり、巧みな言外の表現にして匂わせておいてもらった方が、読み手には親切というものであった。
主役的人物への思い入れから、この蜜蜂の習性説明に語り手の比重がかかりすぎ、読み手を牽引する力の配分計算がうまくいっていない。結果として肝心の中心事件の印象が淡くなってしまった。主軸の事件が、太い骨になってぐいぐい突進する、サスペンス小説において必ず存在すべきエネルギーが損なわれてしまった。
これもまたすでに述べたように、重大な主軸と、魅力ある脇のエピソードという軽重の判断が、この書き手の意識には欠落していることが疑われてしまう。しかし筋はよいものなので、解明のエネルギーが後段になって発動すれば、突如思い出したように作中の空気が熱くなり、押っ取り刀で事態が突進を始めるというちぐはぐな印象がある。
さらにはこうした展開の説明に関与する人物たちの言動が、あまりにもパターンにすぎ、上意下達の威圧言動が過剰で、物語の空気を冷やし、また古くも感じさせて、分け入りがたくしてしまっていないか。
登場人物男女高位者による下方への罵倒ぶりは、戦時中の軍隊や、暴力団も避けるような魅力放棄に充ちている。はたしてこれでうまく部下がついてきて、目的を持つ組織がうまく行為するのであろうか。
上意下達の世界に長く暮らせば、現在世を騒がせがちの暴言類と、これへの忍耐が日本社会のすべてだと誤認しやすいし、小説における世界の描写は、これさえやっておけば事足りると考えがちで、これはむろん正しいのだが、同時にとてつもない大間違いで、人間個々の関係は実のところこれ以外の広がりこそがその千倍もある。この日本型苦行への糾弾が目的というのでないなら、こういう旧態への完全容認と、いっさいの疑問を持たない意識による展開語りは、読み物自体をも苦行に陥らせがちである。
過去にこうした言動読み物がこの国に多く存在したのは、この威圧発言を心底カッコよいと感じる思考段階の日本人たちが、威圧行使の側に自分を置いて読んでいたためで、この小説は頭脳行使を目指して、そういう性質のものではない。
これらの問題点をよく自覚吟味して、もう一度配置構造からの点検をやり直して書き直せば、充分に佳作となり得る筋のアイデアと思うから、一読後なかなかの残念を感じた。
首のない死体という外連味のある題材を用意しておきながら、捜査のほとんどが小さい人間関係の範囲で収まってしまい、肩透かし感がぬぐえませんでした。人物の書き分け、特に主人公がその他大勢と違いを感じられなかったところが痛いです。最後、証拠がないなかで犯人を追い詰める際の試みは、非常に志を感じました。
要素が煩雑すぎ、焦点がぶれてしまった感があります。また、転生という特殊なギミックを使うのであれば、読者が置いてきぼりにならないよう、丁寧に納得させる工夫が必要でしょう。
ミステリとして非常に洗練された書きっぷりに惚れ惚れしました。その分だけ、今回のトリックと動機のストレートさが惜しいです。まず思いつくであろうトリックと動機はダミー解として使ってさらなる真相を用意するなど、読者を驚かせる練り込みを期待しています。
自然や人物の描写に不思議な迫力があり、引きこまれて読みました。ただし長すぎて、途中から飽きてしまいました。プロット段階でもう少し内容を整理してから書き始めることをお勧めします。ミステリーというよりホラーなので、謎解きから逃げた印象がしてしまうのが難点です。
人間の持つ黒い面をある程度描けていたところは面白く感じましたが、物語として、ミステリとしてはやや杜撰な点が目につきました。人物のそれぞれも設定も既視感があり、また、ある人物についての仕掛けも、さすがにそれは成立しないだろうと思います。もう少しじっくり人物の描写を心がけた方がよいのではと感じました。
ダラダラと長く書かれがちな応募作品が多い中、無駄な描写を省き、適正な枚数に収めた点には好感を持ちました。文章も読みやすいのですが、「藤巻がニセ一級建築士である」という根拠がゼロのまま話を進める点や、12年前の事故にこだわる理由が不明な点など、全体的に説明不足と感じます。またラストの入れ替わりは、さすがに無理があるのではないでしょうか。
いい意味で軽いキャラクターも良く、試みも非常に刺激的でした。ただ、これだけの登場人物の多さ・手順の煩雑さはどうしても厳しく見られてしまいます。きっちりと手順を踏むことと同時に、読者を引っ張り続ける工夫と配慮を意識してください。演出次第で化ける作品だと感じました。次作に期待しています。