第13回 選考過程・選評応募総数70

第一次選考通過[26]| 最終選考[3]| 受賞作[2]

受賞作

依存矢吹鐡也

梗概

 未婚の母として十八で真斗を産んだ香奈枝は、真斗の高校進学を機に結婚する。
 しかし、幸せな日々は続かない。次第に真斗が心を閉ざし、ある日、旦那が通り魔に襲われ死亡する。
 悲しみに打ちひしがれる香奈枝は、真斗の部屋で犯行に使われた包丁を見つけ、さらに失意のどん底へと突き落とされる。
 真斗を守るため、香奈枝は罪を被り自首するのだが、警察は香奈枝の行動に疑念を抱く。やがて、事件を記事にした週刊誌が真相に迫る。

選評島田荘司

 殺人事件の被疑者となる女性、その勤め先における上司の男性、彼女の息子、殺人事件を捜査する所沢警察、捜査本部の刑事たち、事件を報道するゴシップ週刊誌の記者集団と、事件に関わる複数の集団があり、進行につれて視線は点々と集団を移っていく。そしてこのそれぞれのユニットが、おのおの、三人称ながら一視点で眼前を語るので、読み手はこれら完結した小世界を読みほぐし、重ね合わせて連続させながら、全体の推移を自身の脳に再構築して行く必要がある。
 この手法は、物語鑑賞のトバ口で頭を使うことを求め、この小説の性質を読み手に示して、論理思索の入り口を宣するものとして有効であるが、時として個々の世界を語る文章に差別感が演出できず、同じ色合いが連続して、読み手を迷子にして失敗する例も多い。しかしこの物語においては、書き手が意図的に文章気分を違えている形跡は乏しく、さらには突進に力を割いて、色を変える余裕がない気配にもかかわらず、充分にうまくいっていると感じた。
 とりわけピースのひとつで、他者に罪をかぶせんと策を弄する男の作業などは、読み手がこの人物の熱に感染してしまうので、諾々とだまされる効果があった。結果、全体の構造はよく複雑化した。中段にいたり、いたって単純と見えた事件であるのに、背後の真相がまったく霧に没したふうのミステリーがよく現れた。
 各ピースを作者はそれぞれうまく膨らませ、ミスディレクション化を含め、巧みに文学的な発展もさせるので、物語としても厚みが生じた。もともとシンプルな構造の事件を、よく重層化し、読み手の意識を真相から迂回路に引き出して、巧みに翻弄したと思う。
 述べたように、この物語は殺人のミステリとしては、ヴァン・ダインが奨励するような大がかりな構造を持たない。多数の登場人物が狭い舞台の上に集合して、ユニークな動機で殺人を為し、中だるみの中断で二弾目の殺人が起き、といった本格の定型性は持っていない。しかし事件進行を支える各ピースの動きが意表を衝き、文芸性を濃く見せて、しかも突進するスピード感を有するから、読み手はまたたく間に中盤まで引っ張ってこられる。この疾走感は、当賞でもはじめてかと思うほどのスピードであった。こうした熱が、そのままある作為の登場人物の行動に接続するので、だましの虚構領域に読み手も上手に連れ込まれて、作為に気づかない。
 しかし疾走する文体によくあるような、中身の空疎はともなわない。この書き手の手柄だが、それはすなわち、これまでのいわゆる新本格の書き手にあったような、冷えた文体で淡々と進行の説明と、解決の段取りが述べられるのではなく、文芸体質の熱の文体で登場の人物たちの心情が活写されるから、各ユニットがそれぞれ独自の文芸的な進展と表情を見せ、これが当作を、過去のミステリーに見ない新しさで読ませた。そしてこれが、そのまま騙しのうまさにつながった。
 香奈枝が主役を演じる最初の小世界では、望まぬ妊娠ゆえに、おとなの分別と信じがたい打算に翻弄される女子高生の、純粋な恋情とやり場のない憤り、出産の激しい痛み等がリアルに語られる。相手の青年も決して誠意がない人物ではなく、彼流の誠意を尽くすのだが、その分別と懸命の若い道徳観は、生まれるべき生命への敬意を欠く場所に、しわ寄せされていた。これは青春恋愛小説の熱気だ。
 結果、彼女はあまりに若い時期に母親となり、女手ひとつで懸命に息子を育てることになり、このことを誰よりもよく知る一人息子真斗は、後段で母のために激しい愛情を燃焼爆発させ、なんとか今からでも幸せになってもらいたいと切望して、そのためには自分は喜んで消えると決意し、彼なりに組み立てた作為の小世界を命がけで疾走する。しかし母のもとに現れていた新しい男は、善良を演じながら、これまでで最も問題のある人物であった。
 土砂降りの雨の中に出現した奇妙な殺害死体を追跡する、いくぶんかくたびれた中年刑事は、しかし彼もまた並みはずれた誠意を持って事件の内部を洞察し、誰もが幸福な着地ができるよう、寡黙な善意を尽くす。この部分は人情ものの警察小説だ。
 事件の不可解な外観と、愛情ゆえに冤罪犯人が生まれている悲劇に対し、思いがけず真相看破のきっかけを作る三流週刊誌の記者は、上司と闘いながら自分の足ひとつでホームレスの塒をたどって歩き、痴漢老人の目撃からついに真相を暴くのだが、この段階では、まだ真相に完全には焦点が合わない複雑な構造が完成している。
 いずれにしても、このジャーナリストがまた職業に似ない善意の人物で、こういう彼らのまれな誠意が折り重なる感動的な結末は、この薄汚れた打算世界にあって、いかにも甘いと批判する向きも予想される。が、選者にはこうした世間流の常識がないので、大変心地のよい、好ましいラストであると了解した。
 ただ多少の難を述べておくなら、突風のごとく突進する熱い文体で心地よく引き廻される物語なのであるが、女性主人公が自首する中段、これまでの彼女の捜査陣への接し方等から、彼女の作為は読めるし、おおよそ先の展開が予想できるきらいが生じているので、何よりこの洞察は所沢署の捜査のプロたちの脳裏には現れるのが自然であろうと感じた。
 先が読めるとまでは言わせなくともよいし、保身上司の怒濤の押しに寄り切られ、また出頭者の熱意に負けて逮捕してもいいが、この時に刑事らの脳裏に浮かぶ言葉は、もっと経験豊富な者の頭脳的な文体にならないかと感じて、この点にはいささかの違和感を憶えた。現状では、証拠類を無視して妻の無理な夫殺し主張を本気で受け入れた、少々ぼんくらの捜査陣に見えてしまう。そう演じて見せなくてはならない相手もデカ部屋には存在しないから、ここで作が知的な勢いを失速したように思われて、快調な読書ペースが落ちた。
 もう一点、最初の青春小説ユニットの熱ゆえに真斗の実の父親の存在が脳裏に残っているので、成人した彼も登場させ、彼は決して事件には関わっていないという証明もひとつ欲しかった心地がした。これによって作は、推理劇としてのすっきり感が増すと思う。
 とはいえ、これらはあるいは些末であるかもしれないし、見解の相違と主張する読み手もあろうから、これでよいのかもしれない。いずれにしても達意の文体と、ミステリー畑には貴重な文芸センスの人間描写によって、上手な混乱を殺人のドラマに持ち込んだ、優れた作例であると感じた。

受賞作

報復の密室平野俊彦

梗概

 多摩薬科大学大日方教授の娘千佳が、施錠された教室で首を吊った。警察は、自殺を装った殺人事件として捜査を始める。
 千佳は生前、ミステリー賞に応募中の人物と付き合っていたという。大日方は、旧友の出版社長の協力を得て新ミステリー賞を立ち上げ、やがてその応募者の中に思わぬ人物を見出す。大日方が、学内の遺伝子組み換え実験室にその人物を呼び出そうとした時、完全な密室と化した実験室内で奇怪な第二の殺人が起こる。

選評島田荘司

 作家は薬科大薬学部、臨床薬理学教授、遺伝子やDNAの専門家で、作中で起こる事件も、大学内、遺伝子組み換え実験棟での超常識的な密室殺人となると、現在ジャンルで最も期待される方向の知識の持ち主と見える。実際物語の内容は、期待に充分応えるものであった。今後さらに、専門知識を活用した創作も期待できると思われる。
 この作、背骨をなす事件群を数珠繋ぎにたどってみると、まず女学生の、死の意思の見えない首吊り自殺。シンメトリーの俯瞰を持つ建物内での、位置錯誤と見える歩行のミステリー。被害者所有のハーモニカ内に残る被疑者のDNA検出。理由不明の空き巣事件。罠としてのミステリー新人賞の立ち上げ。遺伝子組み換え実験棟内、機密室におけるハウダニット的密室殺人、といった連鎖になっている。これらは充分に重い手応えの事件群で、ラストでの夫婦間の情愛や人間的構図も上手く描かれているから、良質なおとなの読み物になっていた。
 しかし、専門知識を有する一級の知性による書き物であるのに、中学生のような不思議な、語彙選択、あるいは判断の不手際が散見されて、少々首をひねらされた。ことの進行は一人称で描写されていくのだが、主役の教授が自分の仕草を、「訝しそうに尋ねると」と書く描写が何度か出てきた。この表現は他人の行動に対して用いるべきが常道で、筆者の能動ならば、「訝しく思って尋ねると」というあたりが適当であろう。
 かと思うと、他人の描写に関して、「私の目から見れば、彼女は生まれてから二十余年、自殺に追い込まれるほど悩んだことは一度もなかった」という奇妙な断定が出てくる。これはたとえ娘に対するものであっても少々言いすぎと見え、「一度もなかったように観察している」とするあたりが妥当であろう。
 この作者には、象牙の塔内でのみ指導者に与えられた便宜的特権が、生物学上の不動の生態と言うように無批判に受け入れられている様子があり、その位置からの階級意識が不動の文章精神として象牙の塔外の描写でも通され、しかし自身は超道徳行動発想をなすので、この意識のギャップが絶えず軽い違和感を感じさせる。
 二十四ページ、「密室の状況が合理的に説明されなくては、おいおいとそれを信じる気持ちにはなれなかった」という不思議な語彙が出てくる。これは「おいそれ」の単なる書き違いであろうか。「諾々とそれを信じる気持ちには」、あたりに直しておくのが無難であろうと思う。
 七十四ページに、「さて、私はここで、この施設の構造について、ある程度詳細を述べておかなくてはならない。というのも、後程この部屋で、実に不可解な殺人事件が起こったからだ」と予告のような宣言が唐突に出てくる。これをここで述べる必要が果たしてあるか、疑問である。時系列的に淡々と事件を起こしていき、のちに説明を順次為していく方が読み手はむしろ意表を突かれ、驚きが大きいと思うのだが、作者は何ゆえにこういうことをしたのであろう。棟の施設が持つ複雑な機械構造や機能を、聴講学生たる読み手に前もって正しく理解しておいてもらわなくては、事件の不思議さが理解できないであろう、という指導者意識の露見に思われる。このくらいの情報量なら、事件が起こってのち、その背後事情を含めた詳細な説明を展開しても、何らの不都合もない。
 もう一点、こうした構造の密室で起こるこの現象は、爆発と称すべき鼓膜を破らんばかりの破壊音にならないか、という点も気になった。しかし現場には、いかに調べても火薬等は存在しないというミステリー。
 後段の百十五ページ、いきなり「おばあちゃんすわりで体を落ち着けると」という描写が出てくるが、おばあちゃんすわりとはいったいどのようなすわり方なのか解らず、戸惑った。これにも図が欲しい気分になった。
 不満点提出をもう少し続けると、華々しいミステリーの連鎖に、大学建物内における位置錯誤という小粒なミステリー現象がはさまることに、かなりの違和感と同時に、不安感を抱いた。作者としては、これでもかとミステリー現象を並べて見せた意図に思えるのだが、自殺者、DNAの検出と推理、実験棟内機密室での理解不能的人死と続く事件群が重々しく、深刻なものであるのに比較し、この位置錯誤のミステリーは、ランクのかなり違う、むしろ軽いミステリーであるように思われて、不安感を抱いた。
 ポール・アルテに「妖しの裏通り」という良作があるが、これは一人の人物に起こる錯誤だが、広大な町の一角で起こるので、長編を一本支え得るが、当作のこれは、本来短編一本を支える程度の軽めな発想に思われて、高価な石の間にプラスティック片がひとつ挟まった数珠のように、最後まで異議発想が消えなかった。
 このような錯誤は、人によって確かに起こり得るだろうが、十人のうちの七、八人に確実に起こるとまでは言えないように推察する。窓から見える外の景色や、本能的な方向感覚、壁や廊下の微妙な色合いの変化などから、誤りに気づく者もかなり出そうに思われる。半数程度の者が正当な方向感覚を見せるとしたなら、この物語の重要な基盤が、早い段階で崩れかねない。
 真犯人のアリバイがかかる重要な局面を、この軽めのミステリー・エレメントに全面的に支えさせるのはいささかの冒険で、作者がアイデアの軽重判定を誤ったように感じた。この手のミステリー習作が、歴史の中で評価が育ち、高い立場を得すぎたゆえの判断ミスを疑える。歴史評価と、純粋な機能性とは自ずと別物である。このミステリーは確実なものではなく、はじめて現場にやってきて、ぼんやりと行為する人間にこそ起こる錯覚であり、しかもたまたまそれを起こした個人の周辺を描くという性格のものである。これより殺人事件を捜査せんと気合を入れる警察が、時間をかけて丹念に検証すれば、ミステリーは到底守りきれず、真相はすぐに露見すると思われる。
 とは言え、これに変わる犯人のアリバイ偽造に別のアイデアを用意するのは、なかなか大変ではあろうけれども。
 もう一点気になったのが「吉川線」で、背後から絞殺される被害者は、苦痛から、往々にして自分の首の下、胸部上層の肌に爪を立てて引っかき傷を作る。自殺者にはこの傷は生じない。これが例外のまったくない現象とは思わないが、「吉川線」によって、捜査陣は自殺他殺の見当をまずつける。これにまったく言及されていないのは不自然に感じる。
 この種の小さな疑問は、他にもいくらも生じる。自宅に入った空き巣事件を、即刻鑑識を呼んで捜査させておけば、指紋は出ないまでも、どのような手袋をしていたか、繊維痕跡、昆虫の死骸片、場合によってはDNA検出までもあり得なかったか。
 新設のミステリー賞に応募してきた原稿から知り合いの名前を発見した主人公は、冷静にあれこれと推論を述べはじめるが、そんな饒舌の前に、即刻研究棟に駈け込み、DNA検出の作業に取りかからないだろうか。その作業中に、こうした推理を順次述べたてていく、というかたちが自然に思われる。この作業こそが、大金をかけたこの罠の目的であり、主人公の悲願だったのだから。
 さらには、一般が名前を知っているか否か微妙というくらいの小さな出版社が、本格系ミステリーの新人賞を立ち上げても、ミステリー作家志望の犯人が応募してくる確率はどの程度あるか。日本以外の国ならば新人賞がないのでこうした罠掛けは充分獲物がかかる見込みを期待できるが、日本の場合は新人賞の数が多く、弱小出版社なら文庫も持たないし、書店に棚も、平台スペースも持たず、宣伝の予算もないと日本の頭脳型読書マニアは読むので、受賞作の注目度は高くなく、受賞作もさして売れないだろうと、大手出版社の新人賞を待つ可能性はかなりありそうだ。
 そもそも福ミスや台北島田賞が比較的容易に創設できたのは、選者が一人だったからで、通常は四人だから、高級ホテルの会議室を選考会場として予約する必要があり、その後の高級会食会設営の費用、銀座の高級クラブ訪問の費用、四人分の選考謝礼金、下選考発表の小説雑誌の有無、広告告知にもかなりの費用が予想されるから、費用対効果の観点から、小出版社なら企画は会議を通らない可能性の方が高くなりそうである。選者が一人で、にもかかわらず口うるさい在野からのバッシングが出ないですむなら、これは圧倒的に費用が安くなる。選考会場もいらず、夜の巷の要もない。会食などざる蕎麦でよい。しかしこうした例は、世間にまずない。
 とはいえこの罠掛けの発想は、古くは「赤毛連盟」などを思わせてミステリーのセンスなので、懐かしく、好ましいものに感じた。作者の、学者らしい勉強の体質も感じた。
 とはいえこうした発想は、選者がミステリー文壇方向のつらい世間を知りすぎたゆえのからい助言で、この手の苦言を言う気になれば、世に流布している定評作の内にも探すことは可能になる。当作は充分によく考えられた構造を持ち、ジャンルに重要な科学知識の提供もあり、誤った犯人に推理が向かうように作られた赤ニシン的構造もなかなか巧みで、しばしの知的刺激の時間が得られそうな、良質な読み物に仕上がっていたと思う。

最終選考作品

密室のエアレース竹中篤通

梗概

 舞台は、エアレース――飛行機を操るパイロットによるモータースポーツの会場。
タワーの最上階に位置するVIPルームの観客席で、密室殺人が起きた。被害者は、同室者が部屋を出ている数分の間に、心臓を刺されて殺されていた。
 事件の裏では、レース用飛行機の開発、パイロットの死亡事故などが、複雑に絡み合っていた。

選評島田荘司

 アメリカ発のまったく新しいスポーツ「エアレース」。これは操縦性高く、速度の速い小型のプロペラ機で、定められたコースを周回飛行してタイムを競う、空のF1ともいうべきスポーツで、日本国内でも徐々に開催されはじめて、定着を見ている。
 コースは空中に設けられた雄大なものなので、飛行ルートを示すために、高さ二十五メートルの雄大なパイロンがあちこちに立ち、飛行機はこの間を飛ばなくてはならない。その時に、翼端がパイロンに触れてはいけないし、間を抜ける瞬間は、機を水平にしなくてはならない。コースは安全のため、必ず海上か、大河の上に設けられる。
 旋回中は操縦室に十G以上のGをかけてはならないし、スタート時には、パラフィンワックスの白煙を出さなくてはならない。
 さまざまなルールがあるが、なにより各機にコースを示すパイロンは、翼が触れても危険がないように徹底して工夫されている。接触した飛行機に決してダメージを与えず、接触があれば瞬間的に分解し、碇で海上に固定されたベースに素早く巻き込まれ、修理に向かったスタッフにより、最短時間で修復されて、また二十五メートルの高さに、すみやかに屹立しなくてはならない。
 このレースは子供の運動会のトラックとは違い、コースが雄大なので、集まった客に肉眼やオペラグラスだけでレースを観せるわけにはいかない。各地点に無数のカメラが立ち、操縦席にも小型カメラが入っていて、アクロバティックな突進を続ける飛行機や、操縦中のパイロットの表情に密着する。これらの映像は、会場内の大型スクリーンに映し出され続ける。
 飛行機だけでなく、各方面の科学技術の大きな進展が実現した斬新な三次元のスポーツで、一部の裕福な観客のためには、海のほとりにパイロンと同じ高さのビルを建て、この最上階にガラス張りのVIPルームを設けて、ここからなら、自身の目と同じ高さを飛び交うレース機が望める仕掛けになっている。
 3Dの雄大なゲーム存立を可能にするために創り出された数々のユニークなサポートツール、これらを活用すれば、二十一世紀型の画期的密室殺人を起こせないか、という意欲的な挑戦がこの候補作、という理解になるだろう。前例がなかなか見当たらない斬新な舞台設定なので、これだけで大いなる好感をもって迎えたい気にさせられた。
 殺人事件は、この空中のVIPルーム、D号室というガラス張りの密室で起る。医大生、音大生、航空エンジニア、医師等、社会のエリートを自認する五人がこの部屋の一時的な住人になるのだが、四人がガラスドアの外のラウンジにアルコール・ドリンクを調達に行ったわずか五分間のうちに、エンジニアが刺殺死体になる。
 ガラス張りの部屋は、一日だけ発行された腕に巻いて固定する紙製のリストバンドに印されたQRコードを、部屋の自動ドアのリーダーに読ませることでドアを開ける。VIPルームはAからDまで四室並ぶが、各部屋の自動ドアのコードは異なるので、D室に入れる者は、D室のQRコードを印したリストバンドを支給された先の五人のみである。
 ここでやや残念に感じたことは、文字通り厳にそういう構造で、D室に入れる者が、D室リザーヴの五人以外にないということであれば、この本格パズルはきわめてスリルに充ちた可能性があるのだが、大会のスタッフたちならみんな入室が可能ということが次第に解ってくるので、純粋思索ゲームとしての吸引力は失われる。読み進むに連れ、D室の仲間の四人はむずかしそうと解ってくるので、そうなら殺人犯は大勢いる大会スタッフか、といういささか残念な推察が持ち上がる。
 しかし興味を惹かれる設問はある。こうした刺殺事件、犯人は凶器のナイフを持ち去るのが一般的だ。あるいは周囲は海だから、ここに棄てればまず発見はされない。しかし犯人はそうせず、密室内にナイフを遺している。犯人にはそうしなければいけない理由があった。その理由は何か──。この発想は面白かったし、感心もした。
 物語の全体、特に結部を面白く読みはしたのだが、この作の「謎→解決」の構造設計には、致命的な問題点があるように思われた。謎解き段階にいたり、捜査陣の一人が面白い推理を口にする。吸い込んだ海水をブーツにつないだホースからジェット噴射して空中に飛び上がる、ハイドロフライというアトラクションがエアレースの合間に披露されるのだが、このハイドロフライの装備を用いて、犯人が地上二十五メートルのVIPルームのテラスまで飛び上がれないものか──。
 面白い考え方だが、たちまち一笑にふされる。ハイドロフライは海上十五メートルの高さまでしか上がれないことに加え、白昼のレース中、VIPタワーの並びには観客席もある。そのようなことをしたら大勢の目を引き、大量の目撃者を出すだろう。そう刑事仲間に指摘されて、刑事は縮み上がって恥じ入る。
 しかしそういうことなら、この物語が真相としてのちに示す方法は、これもまたハイドロフライの使用と完全に同程度に人目を引きそうである。これには何らの隠蔽の手当も施されていないから、完璧に同じ理由で、この大袈裟な方法も実行不能となりそうだ。先のものは駄目だが、こちらならばいいという作者の判断は、根拠が解らず不思議であった。
 もしもどうしてもこれをやりたいなら、VIPルームを最上階に乗せたタワーを設計段階からやり直し、特殊な形態にして、この大がかりな装置を隠す死角なり、内部空間を作っておくなりしなくてはならないように思うが、VIPルームのある最上階には飲み物を供給するカウンターやラウンジがあり、スタッフが詰めている。さらには無数のカメラもあり、VIPたちもいる。眼下の海の沖には、パイロンを修理するスタッフや、事故の際の救助隊の乗る高速艇が待機してもいる。彼らすべての目から隠れることはむずかしそうで、まったく別の方法を考える必要があるように感じた。
 このほかにも、述べる気になるなら気になった点は多々ある。事件発生後、捜査陣の動きが進展的でないこと、ずいぶん経ってから開かれる捜査会議が、ほとんど聞き込み仕事さえしていないことを語り、捜査が初期段階で停滞しているように見えること。これは作者自身がこの刑事事件のアイデアを持て余している証しのように思えて、謎→解決の骨に乗せて、エアレースの蘊蓄を述べるばかりに見える印象は、このアイデアは書き手にとって百三十枚程度の短編のものなのかと思わせた。
 もう一点、この事件の進行、取り分け関係する人物を描写する文章が妙に冷えて感じられることも気になった。上流階層の令嬢優理香の、ありがちな思い上がり態度の醸す空気のゆえもあるが、この世界の空気全体が彼女の思想に寄って感じられる。選者にもかつて医師の友人がおり、その仲間には、プライヴェートの時間には判で押したごとくブランド物のゴルフウェアを着て、有名バーで水割りを飲み、縁なし眼鏡から自身より階層が下と看做す人々への言動が冷たい人物がいた。
 彼らの思索には一定の法則があり、社会の構成要素をパターンに押し填めて分類整理、時間節約的に(受験時間内に)素早く把握するという傾向だった。これは彼らが勝ち抜いて来た受験戦争内部の、たとえば現代国語の設問の際の型に填めた世界理解等々に起因するように感じてきた。たとえば本格ミステリーは密室、孤島、名探偵という単一言語のシンプルなゲーム世界で、探偵には上に名のつく者とつかない者がいると言えばもう異次元発想で、会話が成立しなくなるといった傾向が見られた。
 優理香の父親の、闊達で迷いのない上流階層者としての演劇的パターン言動とか、×は肩をすくめた、清々しい表情を見せた。××は縁なしの眼鏡越しに切れ者としての鋭い視線を見せた、の類いの言辞で、これは作者の階級的世界感の露出であり、現実とはだいぶん異なる強引な決めつけで、人物描写とは似て非なる言葉遣いである。
「俺はとぼけた野郎が一番嫌いなんだ、下手な演技はよしてくれ」と怒声を上げる刑事が最も下手な演技をしているし、この物語の会話全体がおおよそそういう演劇的な傾向にあるのだが、という感想を思わず感じる。
 同僚捜査員の考えを聞き、「バカか」と冷ややかに笑う刑事も出てくるが、真相を聞いた時、この男がまた同じことを言わないかと心配にもなった(同一人物であったろうか)。
 いずれにしても高学歴者によるシンプル化信奉本格の時代がやんで、ミステリーも文学に向かって戻っていく時代にさしかかって見えるので、ここで書き手も慎重になり、無難な没個性行儀を思って前例定型に寄りかかるのではなく、是非とも独自的な表現に向かう冒険に、踏み出してもらいたいものと願う。