第16回 選考過程・選評応募総数61

第1次選考通過[21]|最終選考[2]|受賞作[1]|優秀作[1]

受賞作

赤の女王の殺人麻根重次

梗概

 市役所の市民相談室に勤務する六原あずさは、ある日窓口を訪れた高槻賢一郎から相談を受ける。それは賢一郎の妻の睦子が「何者かに襲われた」と主張しているというものだった。まずは様子を見に行くことにしたあずさだったが、高槻家を訪れたちょうどそのタイミングで、睦子が何者かに襲われた様子で二階の窓から落下するのを目撃する。睦子は「ナツミ」と呟いて死亡し、あずさはまだ二階の部屋に犯人がいるのでは、と考えて家に飛び込むが、その部屋には鍵がかかっていて中には誰もいなかった。
 刑事でありあずさの夫でもある具樹は、容疑者と目されるナツミという人物を追って捜査を開始する。しかしナツミの行方は一向に掴めない。
 一方であずさの元には、次々とおかしな相談が舞い込んでくる。鍵を掛けてあった筈の墓地の納骨堂の中で、焼骨が一人分増えたという男。更に初夏にも関わらず、真冬の恰好をして高齢男性ばかりをつけ狙うストーカーの存在。不可思議な事件にあずさたちは首を捻る。
 警察もまた、睦子殺害事件の捜査がなかなか進展を見せずに苛立ちを募らせていた。消えたナツミの消息は杳として知れない。果たしてナツミは犯人なのか。
 そんな中、市民相談室の係長である西條は、警察から聞いた情報を元に独自の推理を組み立てる。そして西條が指摘した犯行方法は、誰もが思いもよらぬものだった……。

選評島田荘司

 殺人事件の舞台がまず気に入った。松本警察に勤務する若い刑事。松本市役所に勤務して、市民相談室で民の悩みを聞くその妻という夫婦、そして刑事課が、松本市内と、槍ヶ岳や日本アルプスを遠く望む郊外、また安曇野を行き来しながら、不思議な人死の謎に挑戦する。首都圏を遠く離れた信州の静謐な空気、悲劇の背景にひろがる遠景の美しさを、好ましく思わない読者はいないだろう。その意味では、心地よい読書が約束される好読み物である。
 もっともこれは、作者が住んでいる土地であるから、舞台にした馴染みの場所がたまたま人気の街であった幸運によるもので、よく知る場所の方が描きやすいし、安全だとする判断があっただけかもしれないのだが、慣例に習って首都圏を舞台にする無難な判断もあり得ただろうから、やはりこれは作者の選択であろうと考えた。
 一般的に、小説を文学と呼びたい気分にさせるものは、作中に現れる人生上の困難局面で語り手が示す判断の高尚さや、風景の美を語る詩の感性、弱さとは別個のそうした繊細さと、これらを現す語彙の適切さ、あるいはそうした自負心の顕わしどころ、つまりは軽々に威張り発想を許す軽薄さが構造に見あたらないこと、などなどによると考えている。
 そうして、全体の達成度が、前例群に依存しない高みに達して見えること、こういうものを持つ小説に文学性は宿り、それは文学賞の受賞経歴とか、大衆の抱かされたジャンル理解の常識とは関係がない。そういうことを考える時、この出発したばかりの書き手が作中に示した態度には、将来そうした方向に向かえそうな品のよさを感じる。今後もこうした様子が続くなら、これは貴重な萌芽というものだろう。
 とはいえ、これはミステリー小説であるから、犯人の特定と、殺害は不可能に見えるこの人死がもしも殺人であるなら、用いた方法の解明などは、後段において行われなくてはならない。
 この物語において現れる人死の態様、二階の密室の中で、前方の犯人に圧迫されて窓に向けて後ずさり、犯人の名と思しき言葉を口にしながら、衆人監視のもとで後ろ向きに墜落死する。しかしこの部屋は被害者だけが鍵を持つ密室で、事故後即部屋をあらためても、犯人の姿はない。実行後、犯人がただちに逃走したにしても、建物の前方にも、後方にも人の目があった。双方ともに誰も見てはいない。
 衆人監視のもとでのこうした墜落死のありようには既視感があるのだが、過去のどの有名作品であったか、どうしても思い出せなかった。とはいえ、たとえ前例があったにせよ、犯罪のこの見え方には魅力があり、事件の不可解性を訴えるに充分な力がある。
 そしてこの作品に感心した要素は、この謎を、まったく従来の型を破ったふうの異色の風貌の探偵に、これまた型を破ったふうの異色の犯人を指摘する推理を行わせ、いったん解決して見せたことで、この解決にはなかなかの説得力があったから、これが真の解決であったとしても、充分にもっともらしくて、優秀賞のレヴェルくらいはクリアして見えた。
 淡々とした真摯な語り口は、作者もこの解決でよしとしているふうに見え、読んでいるこちらも、いったんはそういう物語かと思わされたし、今はやりのあるポピュラーな機械を謀殺に用いる、アップトゥデイトなアイデアも気がきいていて、前例がありそうで案外ないから、意表を突かれた。しかもこの探偵役の極度の女性不人気ぶり、セクハラおじさんぶりも超常識的で意表をつくから、こんな人物をあえて名探偵役に置いた作為には、嫉妬おじさんたちの人気を狙ったかと邪推もさせ、セクハラ名探偵堂々の誕生に、時代の屈折や民族性を見る思いもしていた。
 しかし、セクハラ男らしい思慮不足を、作者はあらかじめ推理の内に二点埋めていて、これらは、読みやすい文体に乗ってさらさらと読まされている分にはこちらも見落としていて、なるほどと感心させられた。確かにこの機械は、田園地帯の静寂の中で無音ではなかろうし、これは思っていたが、火葬死体が綺麗な白い灰になるのは、猛烈な高温や、窯内部の熱気の流れをよく計算した専用の装置が必要になる。焚き火やストーブの炎程度では、人体は東京大空襲や、関東大震災の記録写真で目にするような、人体形状をそのまま残した炭素になるばかりである。
 解決の段で二段の構えを用意し、それゆえ真の探偵役が述べる真相に至ると、大きな説得力が生じて、この作品を本賞受賞相当の位置に、一挙に押し上げた感があった。
 気づいたことをもう少し述べておくと、平和に見える令和の日本で、精神を病む人々が増えていることには、何らかの時代的な事情がひそんでいるのかもしれず、これは小説家が追求すべきテーマのひとつに思われる。これが都心の日常ばかりでなく、これほどに平和で、療養環境的な暮らしにおいても発病するなら、ここには事態解明のヒントがひそむかもしれないのだが、そういうことと別に、作者はこの病を物語の起爆剤に据えながら、凡庸な日常ツールのうちに、意表を衝くミステリーを創って見せる。
 墓石の下、骨壺を収める石室の中に、見知らぬ骨壺がひとつ、忽然と出現する。若い娘でもない、一人の鍵屋の親父に、コートにマフラー、マスクに帽子のストーカーが出現して夜道をついてくる。これらは定型的なミステリーの型ではないから、すぐには理由が思いつかず、なかなかよく悩まされる。またこれらの理由が解明説明されると、想像以上に中心軸によく関係していたから、気持ちのよい納得感が来た。
 このような、一見どうでもよいようなさりげない謎の外観は、過去の読書歴の中でもさして記憶がなく、現代的なメンタルの病からことが起こされているので、その方向のことかと迷わされ、なかなかよいかく乱を生じさせて、悪くない効果を醸していた。

優秀作

片翼のイカロスは飛べない野島夕照

梗概

 相模湖畔に建つ碇矢家の邸宅に、新人メイドとして和久井麻琴がやって来る。
 碇矢邸には、当主で碇矢コーポレーション社長の加州、妻の雪奈、娘の安奈、姉の胡桃、その夫で副社長の洋一郎、会長の呉田鈴葉、その娘で専務の彩葉、孫で社長秘書の楼葉、シェフの小暮寛治、先輩メイドの蒼井美樹が住む。
 当主の加州は生まれつき片足が不自由で、ギリシャ神話のイカロスのように大空を飛ぶことを夢見ていた。先代がナッツ農園で成功した碇矢家は、彼の代になってさらにレジャー開発に乗り出し、莫大な資産を築いていた。加州は、人間と風の力だけで空を飛ぶコンテストの開催と、東京湾最大の自然島を開発してテーマパーク化する構想を、胡桃の忠告に耳を貸さず独断で推し進める。
 末期がんで医師から余命宣告を受けていた胡桃は、自然環境の保護を訴え、加州の経営方針に反対するが、弟の暴走を止めるよう麻琴に依頼したあと、屋敷に戻って十ニ日後に死亡する。
 胡桃の告別式が終わった深夜、雪奈が大階段から転落して、頭蓋骨が陥没するほど後頭部を強打し、瀕死の重傷を負う。すぐに救急車で総合病院に運ばれるが、意識不明の状態だった。
 数日後、加州が碇矢邸から忽然と姿を消す。自室の、湖に面した東側の窓が開かれていたが、それ以外の窓と扉はすべて施錠されていた。碇矢家の一族は皆、加州が入院中の妻に会うためイカロスのように大空へと飛び立ったに違いないと考える。
 加州の亡き息子、夏威児の七回忌が迫る中、不在の当主に変わって、軽井沢で静養中の鈴葉に出席してもらうため、自家用ヘリコプターで迎えに行くが、日没後となったその帰路、奥多摩上空で黒い影と接触する。鈴葉は、ヘリと接触したのは加州だと主張した。
 神奈川県警の宇賀神本部長は幼馴染みの加州が失踪したと連絡を受けて碇矢邸を訪れるが、この一週間で、当主の姉が病死し、妻が階段から転落して生死の境をさまよい、そして当主自身が失踪して上空五百mでヘリと衝突したという事実を異常だと指摘し、科学捜査に乗り出す。
 神奈川県警が科捜研に依頼してDNA鑑定をしたところ、ヘリの機体に残されていた赤いシミは加州の血液であることが判明した。碇矢家の人々は、当主が大空へと飛び立った確証を得たことに狂喜し、ヘリと接触しケガを負っているはずの加州を早く救助してほしいと警察に訴える。
 加州が失踪して一ヶ月後、神奈川県警と警視庁の合同捜査により、奥多摩山中で当主の遺体が発見される。現地の野生動物に食い荒らされたような悲惨な状況だった。その翌日、妻の雪奈が病院で息を引き取る。
 加州と雪奈の合同葬儀が終了したあと、碇矢家の一族及び警察関係者の前で、メイドによる事件の謎解きが始まる。

選評島田荘司

 この作は、アニメか、館ものゲームに見るような型に、無抵抗に、全面依存して作ったストーリーと感じる。ゆえにこうしたエンターテインメントになじみ、絶大的に好みである読者には最高に読みやすい、好ましい世界であろうと推察する。しかしこちらはなじみがないので、読み解く対象世界が、なかなか膨らまず、深まっていかないもどかしさを前半では感じた。そうなると、ページを繰らせるエネルギーもまた、少々乏しい。
 過去も背後も持たず、AIのように前例踏襲のセリフを口にし続ける登場人物たちはカードボードで、彼女らがひらひらと乱舞するファンタジー世界は、実は文学的に読み解く対象ではなく、進行が定まった館ゲーム・パターンを素直に受け入れた書き手が、そこに本格としてのどんな仕掛けを思いついて付け加えるかを待ち、楽しむのがよい。こうした日本型の構造は、平成以来の新本格の行きついた姿かもしれない。
 日本語の国ジパング、その神奈川県、相模湖のほとりに構築された封建的家父長型小階級社会、固定的な階級意識強制による会話ルールも、この人工的にすぎる世界においては、否も応もないアニメ的な演劇感覚で行われて、これを決まりごととして日々を通している限りは、格別の感慨も、快・不快もないと見えている。今は若いようだが、彼女らもいずれ歳を取る、 蓄積された怨念の残滓が何を作りだすか、等々のことは考えられていない。その必要はないという判断なのであろう。彼女らがもしもAIでないなら、こうした演劇人生の行きつく先の世界には、それなりに興味が湧く。
 しかしこのAI館ドラマが、同時に血族主義ルールの、遺産相続ドラマの型にも属しているらしいと知れるあたりから、その臆面もない露骨さに苦情を言うより先に、逆に俄然面白くなった。どうやらこのストーリーは、館ものをさらに進め、遺産相続、連続殺人のパターンも使用していて、進行の次第は完成品のこれにすっかりまかせてしまい、細部の新味に勝負を賭ける種類の習作であったかと知れた。とは言え、そうした露見に、自分の場合は特にがっかりはしなかった。
 物語がさらに進行して、手塚漫画の名作「ブラック・ジャック」とピノコのエピソードが現れ、すわ今度は「ブラック・ジャック&ピノコ」の型も取り込む気かと身構えたが、これはそれほど露骨ではなかったものの、しかし大局的に見れば、しっかり取り込んだともいえる。この作者のこうした博覧強記型、前例群の勉強→吸収の制作態度は、中段で披露されるさまざまに高度な雑学の披瀝とも絡んで、ある方向の日本人の創作傾向を示しそうだが、この分析は他所に譲る。
 テレビで「犬神家の一族」のリメイク・ドラマを観ていると、畳に正座整列した遺産目当ての親族たちの眼前、横臥する白髭老家長が何ごとかをつぶやき、弁護士が懐から遺言状を取り出して、それが地図だの暗号文が入った小箱を示したりすれば、シリアスもの、パロディものを含めて、この場面を何十回見たであろうと記憶をたどりながら、わが民族の噴飯的ユーモア体質に、しみじみとした感慨を抱く。ここまで徹底従順な前例パターン渇望症候群は、アメリカのドラマ等ではなかなか例を見ることがない。
 しかしこの作品、骨組みに全面的に依存しておいて、創作頭は細部に、あるいは別所に使うのだと言わんばかりの執筆スタイルだから、細部各所のアニメ的ユーモアや、ちょっと現実的でない活劇展開などは、充分に楽しんだ。高齢者が鳥人間となって夜空を飛び廻り、地上五百メートルでヘリコプターに激突したとする展開など、はたしてどう着地するのかしらんと心配させられたが、なかなか説得力のある処理を見せて、リアリティなどを言い出す気がない選者としては、大いに感心した。
 もうひとつ、秋葉原ふうのメイドドレスを着ているらしいヒロイン真琴の脳内に、もうひとりの男性人格の脳、誠が腫瘍のごとく同居していて、彼がコナン的名探偵の能力と言動癖を持ち、期が満ちれば真琴の声と体を借り、快刀乱麻を断つごとき名推理を展開して警察関係者や血縁者を煙に巻くという段取りは、なるほどこのあたりが前例の型に思い切り依存しておいて、余裕のできた脳で切り拓いた新機軸かと、納得した。
 彼女に現れるであろう激しい頭痛や吐き気、生活困難を呼ぶ様々な病的傾向などは、まあ野暮なこととして、言いっこなしのルールなのであろう(ピノコの場合は、問題あって体外に切り出されたのだが)。
 この作例がもしも時代の要求と合致して受けるならば、あるいは当るシリーズともなるのかもしれない。
 もう一点気になったのだが、タイトルの理由を語る気の利いたふうの一文が結部で出て来るのだが、これがあまり説得力を発揮せず、ピンと来ない。この説明は最後に作の全体を締め、鮮やかな着地と見せるべき重大な一文なので、もう一考の余地を感じた。
 しかし冒頭の天国のファンタジーは、上手に伏線の効果も醸して、よい感じにできあがっている。