第11回 選考過程・選評応募総数77

第1次選考通過[ 22 ] 最終選考[ 4 ] 受賞作[ 1 ]

受賞作

さよならをもう一度酒本歩

梗概

 ドッグシッターの風太に一通の喪中はがきが届く。以前交際していた美咲の訃報だった。まだ32歳なのにと驚く。ほかの別れた恋人、蘭、エミリのことも思い出し連絡を取ろうとするが、消息がつかめない。
 別れたとは言え、三人は風太にとって大切な女性だった。彼女たちに何が起きているのか。いてもたってもいられない風太は三人のことを調べ始める。彼女たちの友人、住んでいた家、通っていた学校。しかし、彼女たちはまるで存在しなかったかのように、一切の痕跡が消えてしまっていた。
 あり得ないことに激しく動揺し、混乱する風太。消耗しつつも、彼女たちの生きた証を捜し続けるが・・・・・・。

選評島田荘司

 富山から上京した真木島風太は、堅実なサラリーマン仕事を踏みはずして、なかばヴォランティアのようなドッグシッター職に就いている。深く考えたすえでもなく、楽だから、これを職業としてずっと続けてもいいと考えるほどに、人生に大きい夢を抱く気分は捨てている。
 他人の犬を散歩させてバイト料をもらうなど、男子一生の仕事ではないからと、富山の母親は田舎に帰って来いと電話のたびに要求する。けれど犬が好きなので、風太はこの仕事を手放す気になれない。
 そんな風太が、過去のある時期、突如モテ期に入った経験がある。蘭、美咲、エミリという三人の魅力的な若い娘と、次々につき合う展開になった。ペット好きの女性は多いから、犬が絡むイヴェントで女性と知り合うことも多く、こういう役得も、ドッグシッター職を離れられない理由になっている。ところが深い仲になる前に、何故か次々に去られ、また味気ない独り暮らしに戻ってしまった。この程度ならよくあることだが、まもなくつき合った娘の一人、美咲が死んだというハガキが、風太のもとに舞い込んでくる。
 驚き、ほかの二人の娘の消息も心配になった風太は、姉御肌のガールフレンド雪枝や、病院勤務の旧友とともに調査をしていくと、はたして三人ともが揃って死亡していた。時期もほぼ同じ。こんなことがあるものなのかと、風太は愕然とする。
 死因はまったく解らず、ボーイフレンドだった風太にも想像がつかない。自分と交際中、彼女らはいたって健康だった。死因が病気のゆえであったかどうかも、美咲の身内からのハガキには書かれていない。自分と別れてのちの彼女らの生活ぶりも解らず、調べようもない。三人の周辺にいたはずの者たちの口は、会ってみても堅く、風太と出会うまでにたどった彼女らの人生も、住んでいた家さえも茫洋として、まるで三人の娘など、最初から存在していなかったかのごときだ。
 まったくの異常事態で、犯罪の匂いも感じたから、風太はいっとき関わりを持った者の責任として、真相を突き止めたいと願う。何かの陰謀に巻き込まれて殺されたのではないか。とすれば犯人は誰か。自殺したのかも知れないが、それなら理由は何か。三人ともが自殺なのか、理由は共通しているか。しかし調査しても、彼女らにまつわる深刻な事情は何ら浮かんでこない。
 自殺とでも考えないと、若く健康そうだった彼女らが命を落とす理由があろうはずもない。しかし真相は手強く、いかに調べても、到底素人の調査では迫れない。三人の娘は、まるで亡霊のように突如この世に現れ、しばらく風太とつき合ったのち、再び亡霊のように消えてしまっていた。
 行き詰った風太は、交際中去りそうなそぶりの彼女らに怒りを感じて自分が殺し、その記憶を自分はなくしてしまっているのか、とまで思い詰める。しかし風太の人柄を知る雪枝も友人も、その考えを否定する。では真相ははたして──? というのがこの小説の骨子になる。
 これまでの小説なら、主人公の青年は三人の娘の存在を隠そうとする人々の間を丹念に嗅ぎ廻り、あきらめかけた頃ついに実在の証拠を発見し、彼女らの遺体か墓銘碑にたどり着いて、三人の実在と死という真実に到達する、そういった展開になるはずである。彼女らが殺害された理由は、国家間の謀略や、世界企業の思惑など、想定外のスケールであった、というあたりがオチになる。
 しかし本作品において作者が用意した裏面の事情は、まったくそういうものとは異なり、百八十年の本格ミステリーの歴史に、新たな仕掛けアイデアの一項目を書き加えるべき、斬新なものであった。それは21世紀の先端科学によって生まれ落ちた、前代未聞の方法である。本作品は、新ジャンル「21世紀本格」の目指すところに、あるいはこのジャンルの定着を目指すこちらの問いかけに、充分に良質な答えを戻してくれたものであった。
 そういった理屈のほかに、この作品は全候補作中で最もリーダビリティが高く、こちらをよく読者にしてくれた。この点も評価に値する。その理由のひとつは、少なくとも前半を、読みやすい恋愛小説の体裁にしたことにある。誰にも覚えのある青春時代の恋愛譚は、身につまされ方も手伝って、おそらくは全小説ジャンル中で最も興味を惹く形態なのであろう。
 本作品の前段は、恋愛のエネルギーを軸に、青春小説としての空気を作中いっぱいにたたえた好ましい波乱になっていて、立志伝中の志をいささか捨て加減の、すなわち現代に数多く見られる普通の若者の、それゆえに軽快な心性と生活態度、頼りないが彼の純真さに好感をもって面倒を見るガールフレンド、という配置もよいが、彼ら、特に女性の言動がまことにそれらしく、当世流を巧みに写している。
 こうした青春群像のむしろ平凡な印象が、後段での驚きをいっそう大きくする。彼らの醸し続けた空気は、体温や体臭までもリアルに感じさせながら後段に突入して、結末で一挙に正体を現す、このあり得べからざる不思議な構造体を、信じられる印象にまで高めた。少なくともよくその準備をした。他愛のないありふれた物語と見せておきながら、結部に大きな段差を演出した手法は、一種強引な力技とも言えて、本格によく馴染む計算の産物といえる。
 前半の展開の細部あちこちに、書き手の繊細な描写がひそんで、よく伏線効果を発揮する。ここにおいて、年長の書き手が上からの目線で若者を描き、少々頑張りすぎて勘違いを見せていたり、言動が大げさすぎてスベっていたりする気配はない。世代に特有のジョークや軽口もほどよく、空気をよく温めて引きつけ、読み手の冷笑気分を、一気に驚きに向かわせる。こうした写実の技能がなくては、この驚天動地の小説は成立しなかったであろう。
 表面的にはありふれた恋愛興味と、不可解な消え方をした恋人たちへのありがちのミステリー趣味、犯罪シンジケートがもしも背後に関わっていたらという不安と怯え、等々が一体になって、よくこちらを引き込み、結部に向けて引っ張ってくれる。そして真相は、それらのどの想像とも違う、真に驚くべきものであった。
 読みやすさから、この作の読書は一日で終了した。これは文体の読みやすさと同時に、四百二枚という実際の原稿の少なさにもよっている。ほどよく短い分量は、あっという間にこちらをして読み終えさせてしまうのだが、唯一の弱点、あるいは不安点と言うべきかもしれないが、それもこの少原稿量にあった。
 分量の少なさと、小説技巧の上手さ、すなわち読みやすさは、四作品を一挙に読まなくてはならない選考者には圧倒的な好ましさなのであるが、同時にこれで大丈夫かという、一種の老婆心が生じた。
 この小説は、「バイオスフィア3」同様、近い未来の物語であるから、この突風のごときあっさり感は、少々意地の悪い読み巧者には、全体を小粒に、SF小話に感じさせないかという心配をする。冒頭に小説の骨子についての説明をしたが、骨組みとしてはあれですべてと言ってよいくらいのシンプル構造である。
 この物語は、いうなれば新世紀の「浦島太郎」譚で、そのような分類把握を思いつけた者なら、その俯瞰力の自負ゆえに、これを素朴なおとぎ話にすぎぬとする例の威張った見下しや、無根拠な切り捨て態度を起こさせそうである。この不思議な物語をより信じられるものに高める厚い学問的な補強は、まだいかようにも行えそうなので、現状ではいささか不足していないか、という心配も起こった。
 先進の学問成果に依拠して発想されたこの種の小説は、本のツカがもう少し厚い方がよりもっともらしく感じられるであろうし、もっと補強を為した方が、説得力も出るだろうと予想する。こんな馬鹿げたことがあるものかとか、リアリティがない、などと手軽に言いがちな勉強不足大衆は世に数多い。しかし歴史は、地球の方が太陽の周りを廻っているとか、人間は神が一挙に作り出したものではなく、猿類から徐々に変化してきた結果であるとか、精神病や天然痘は死穢や人の怨念によって起ってはいないという、あり得ない暴論の方が正しいと示し続けた。大衆の無根拠な現状維持的横暴をさんざん見てきた者としては、そうした余計な心配も感じてしまった。
 しかし、こうした趣向のミステリーなら、そうした批判は仕様のないものとして受けとめればよいのかもしれない。いかに対策を尽くしておこうとも、その気になるなら批判はたやすい。当作の場合、現状の体裁で充分にこと足りているのかもしれない。

最終選考作品

バイオスフィア3栁沼庸介

梗概

 近未来の地球。 人口爆発と温暖化による食糧不足を解消する目的で火星開拓の先端を切り開くべく、地球低軌道上に建造されたばかりの宇宙船バイオスフィア3。
 宇宙船全体を最適にコントロールする任務は人工知能が担っており、人工知能単独での運用が開始されていた。そして半年後、その運用状況をチェックすべく、管理官をリーダーとする六名の科学者チームが三ヶ月の期間、バイオスフィア3に派遣された。
 作業が開始されてからひと月が経過する頃、管理官が事故死を遂げる。続けざまに科学者一人も事故死する。残されたメンバーの一人であり病理学者でもある医師が報告のため、死因特定の詳細検査を行うが不審な点は見当らない。
 しかし、死亡事故の直接原因となった証拠物品を調べると、事故では済ますことができない手がかりが見つかる。
 医師はその手がかりを元に、罠を仕掛けて犯人をあぶり出そうと試みるのだったが……。

選評島田荘司

 文体がきわめて上質であり、知的でもあるから、非常な好感をもって読んだ。作者が想定、意図したドラマ展開の範囲内において、きわめて完成度高く仕上がった文章群と感じて、感心もした。
 表現が適切で、語彙の選び方も上手であり、加えて説明が冷静で、過不足がない。法律家の文体でよく見かけるような種類の、専門知識を有する書き手の、優越感のともなう文章とも感じる。思索の展開が終始論理的であり、先進科学が実現した世界を語る専門領域的表現は、本格ミステリーの、時に独善の精神によく適合して感じられたことは、格別意外ではない。こうした表現を用い、当賞のような本格を志向する賞に挑戦を目論んだのは、充分合理的な判断であったと思う。
 ただ述べたように、作者がもくろみ、設定した世界は、専門家ふうの把握と表現を通すために、かなり狭い範囲となったのでは、という疑問を一読後に感じた。「狭い」は、物理的な意味ではなく、書き手の知識の及ぶ領域を意味するが、ために刑事事件が通例的なものとなり、型を破るほどのとんがりを持たなかったきらいを感じた。つまり、宇宙科学の専門知識を有する書き手が、その知識の範囲内で表現を行いたい、もっと言えば刑事事件構築に真剣になって、文章が専門外におよぶことを嫌った気配も感じた。遺憾なことかも知れないが、この点は作の評価にもつながってしまう。
 物語の舞台は、一分間に三回転して人工重力を作り出しているバイオスフィアというドーナツ形状らしい宇宙ステーションで、これが大気圏外に浮かび、その内部に人工的な森や海、農場までを持っていて、これらを完璧な状態に維持し、同時にステーション内を六人の乗務員にとって快適な環境に保つため、人との会話が可能な「アイビス」というコンピューターを乗せている。「アイビス」はステーション内の環境保全という重大任務を負うているから、これは七人目の乗務員ということになる。
 そしてこの点が最大限に重要なのだが、この高度な人工知能には、その判断と行動(ステーション内環境維持のための諸操作)において、かつてアイザック・アシモフが提唱した高名な「ロボット三原則」が厳しく適用されている。すなわち、人間に危害を加えてはならない。人間が危害を受けるのを黙視していてはいけない。ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ロボットは自分自身の身を守らなくてはならない、といったあれである。
 アイビスにこうした機能を持たせることは、宇宙ステーションの乗員の健康維持において合目的であり、破綻のないはずのものであったから、乗組員は全面的にアイビスに信頼を寄せることになる──。とこのように把握を述べれば、この物語の先の展開が、おおよそ見えてきそうとも、あるいは言えるかもしれない。もしもそうであるなら、こうした展開は定型に育っているということで、読み手に致命的な既視感をもたらす危険はなしとしない。そしてこのことに作者は、どうやら気づいていなさそうである。
 こうした構造の宇宙ステーションに、訓練を受けた米軍の士官や海洋学者、心理学者や環境学者など各界の専門家たち六名が乗り込んで、各自自分の専門領域の研究を続けている近未来の閉鎖世界が舞台で、個人的な分類になるが、このような趣向なら「21世紀本格」と呼ばれるべき作例と考える。この方向の挑戦作が、今年に限っては二作品もあったことは、いよいよ時代がこの方向に向かって成熟を開始している証しかもしれない。
 宇宙ステーション・バイオスフィアは、強力なイオンロケット・エンジンを搭載しており、環境汚染が絶望的に進行する地球上の人類が、将来火星に移住するという判断の合否を探るため、近い将来、火星に向けて飛行を行う計画も持っている。
 最先端の科学的ツールに囲まれた、こういうクローズドサークル内で、もしも殺人が疑える人死事件が発生した場合、知的エリートを自認する集団と、彼らに指示を受け、しかもロボット三原則を遵守して行動する人工知能という集合体は、はたしてどのような展開を作り出すか。極限的な状況に直面しても、アイビスは人間のしもべでいてくれるか、こうした「思考実験」が、この作品の骨子と考えられる。
 作者が強い興味を感じているこうした特殊な条件下での人間ドラマには、選者たるこちらも充分な共感を感じるので、高い関心をもって読んだ。ところがどうしたことか、もう一方の「21世紀本格」タイプの作例、『さよならをもう一度』ほどには内部世界からの強い吸引力はついに感じることなく、あっさり読了してしまった。示される作内部の特殊な環境には終始興味を感じたし、その適切な説明にも感心し続けているのに、クライマックスに至るまで、そのどの地点においても原稿を置いて読書を中断してもよいふうな冷静さが続いて、つまり興奮させられないから、この点は読み手のこちら自身が大いに意外を感じて、理由を突き止めなくてはと思わされた。
 賞選考の根幹にも関わる問題に思われたから、じっくりと考えた。それが冒頭の説明につながるのだが、科学的閉鎖環境の舞台上に載せられた殺人事件自体が、いたって平易なものであったから、ということはまず考えられる。岩石による撲殺と、二酸化炭素による窒息死という二事件であるが、この実行に最先端科学の特殊な材料や手段が活用されているかというと、されていなくはないし、事件の露見に21世紀科学の知見が用いられはするのだが、ここでの最大の眼目は、殺人という利己的行為と、「ロボット三原則」との関わりであり、その縛りの破綻のない遵守と、運用のアクロバット、ということにあると思われるから、刑事事件自体は、右の問題提起としての性格さえ持てば、なんでもよかったというに近い印象になっている。
 専門的な知識を前提条件としての特殊な環境が舞台で、その説明に大きな「脳力」を割いて丹念な説明を行ってのちに、さてここで起こす殺人事件をと発想する時、妙に力が尽きてしまっている感があり、刑事事件そのものは、前例がないほどにユニークなものとはなりにくかった、といったふうな作者の事情を想像してしまう。つまり宇宙科学の解説部分は非凡であるが、本格推理のドラマ部分は平凡であるということで、先進科学の理解と説明の脳は、殺人事件の謎→解決を、伏線呼応を意識しながら演繹する脳とは別種類である、という把握をしてしまいたくなる誘惑を感じた。
 「ロボット三原則」の適用に際し、それが内包する矛盾に近い法精神の忖度に作者の視線は固執を続けており、この点への強い興味が、ミステリー史に現例のない刑事事件構築への発想までは抱かせなかったかと疑わせる。科学環境描出の達成度だけで、もう充分にミステリー史上に前例のない仕事はできた、とする自負が働いたようにも推察される。
 しかし読み手たるこちらは、ミステリー文学においては宇宙環境の説明の経験がなくとも、他ジャンルの文芸や、少なくない米国産の映画によってたっぷりと経験してしまっている。すなわち第二の理由として、宇宙におけるコンピューターの反乱というドラマの骨組み自体が、すでに定型鑑賞の既視感を伴う性格のものに育ってしまっており、こうしたあれこれが、表現文体には充分に感心しながらも、興奮にまでは気分が高まらなかった最大のブレーキかと思われた。
 すなわちこの舞台において波乱をもくろむならば、「2001年宇宙の旅」からすでに五十年という年月が経過した現在においては、人死事件をもまた、読み手が未聞と感じるほど型を破るものに、設定する必要があったのではないかということを、思わないではいられなかった。当作品は、乱歩賞に落選したそうだが、その後、今回の再投稿にいたるまでの時間は、この殺人事件の新味捻出に最適の時間であったように推察される。しかし科学環境描出の筆への必要以上の自負が、現状への固執につながったように想像される。
 また以上のような問題のほかに、ロボット科学における根源的な命題が、読書の間中ついて廻って消えなかった。殺人を実行するにあたっての条件のひとつに「ロボット三原則」が介在した場合、ロボットたるアイビスの判断はどう展開していくか、こうした推測のゲームは充分に面白いし、優れた着眼と評価した上で、以前より感じているこの問題への疑問点の説明を、以下に試みてみる。
 昨世紀末から、わが社会にはすでにロボットが数多く存在している。腕だけで延々とルーティンワークを続ける自動車造りのロボットにその典型を見るわけだが、昨世紀の前半にチャプリンが作った名作「モダンタイムズ」の重しが効いて、欧米においては非人間的な流れ作業を人には課しにくくなり、これを気にしなかった散文的、自虐的な日本人が、大衆車造りで世界でリードした、こうしたことはどうもありそうである。
 この事情ゆえに、自意識を持たないアームロボットは急速に発達した。近未来の自動車工場はこうしたロボット工場になるという確実な未来予測があるから、トランプ大統領はなりふりを構わず自動車製造業を国内に呼び戻したがっている。工場自体が存在しなければ、そのロボット化もできない。そしてワーカー・ロボットが給金を要求しなければ、国家間の人件費格差は生じないから、工場は国内にあっても経済的に成立する。こうした未来には、職を失った労働者の何割かは自殺等で命を失うと思われる。
 そして自動車産業の次に登場するロボットが何かといえば、今や事態は明瞭化した。戦争の最前線に立つ、キャタピラ付きの大量殺人機械やドローン殺人機械、空爆無人機になる。これは自軍兵士の命を守るために切実に必要とされ、もっか一日も早い実現が期待されて、研究が進められている。すなわちロボットという機械の発展史上においてこそ、絶えず大量殺人がついて廻り、アシモフの「三原則」はまったく気にされる気配がない。
 現実のロボット発展史は、アシモフの予告とは大いに違う推移を持ちそうであるから、この警告は、アームロボットの歴史を存在させず、人型ロボットが突如世の中に現れ、これと直面したアーリア人種の事情に思われて、アジア・アフリカの植民地におけるアーリア系白人種と、有色原住民奴隷との出会いに酷似している。すなわちこの「三原則」というものは、過去世界各地で徹底した植民地支配と搾取を行い、現地人を従順な奴隷とせねばならない切実な事情を体験した人種の、民族的記憶と思われる。
 ということはすなわち、アシモフの言う「ロボット」とは、植民地の奴隷に酷似した「人型ロボット」のことではないか、という疑念が去らない。人型ロボットは、やがて腕力と知性、それとも悪意を獲得して、人工の腕に殺人可能の武器を携え、制御不能の復讐を始める危険性がある、とアーリア人種は考えた。単にプログラムの人形が、そのような意志を持つと発想すること自体が、罪の歴史ゆえの白人種の贖罪的な怯えであって、植民地搾取の経験を持たない日本人のロボット感には基本的にこれがなく、ロボットを幼い友人ととらえがちである。が、身体能力の高い殺人奴隷が、スパルタカスのように報復に立ちあがってくると予想するなら、「三原則」が必要になるという事情であろう。しかし当作中に出現するアイビスは人型でなく、肉体を持たない環境維持のプログラムであるからこれは拡大解釈で、果たしてこれに、こうした単純な「三原則」適用発想になるものか? という疑念は終始感じた。
 当作においてアイビスは、人が設定したプログラムに沿って思考し、判断し、ルーティンワークをこなすだけと説明されながら、実は火星に行きたい内心を隠している。これは名作映画「2001年宇宙の旅」に現れて、人間についに反旗を翻す従順な人工知能HALに似て感じられ、この映画のストーリーを器的にとらえて前例として踏襲したか? といった疑念が、あるいはこちらの興奮に水を差したかと考えられる。
 以下は賞の運用自体に関わる問題で、以前より考えていることであるが、他賞落選作への対処の問題になる。福ミス候補作に乱歩賞の落選作が混じること自体は問題ではないのだが、落選告知後、即刻の福ミス・スライド投稿、あるいは一年以内の機械的移行となると、はたして誤字脱字の修正以上のことがどこまでできるものか、と疑念を抱いている。
 落選作たるこの作は、先述したようにステーション内部の説明はほぼ完璧にできているので、この舞台に載せる殺人事件がもしも大きく、ユニークであったならば、傑作になった可能性は高い。こうした抜本的な改造なら、自作を一度忘れ去り、のちに他人の作を読むようにして不足部分を探し、改造をほどこすのがよいと考える。そのためには落選後、少なくない時間を置く必要が考えられてくるから、不必要な固執意識は、すみやかな棚上げの要がある。誤字脱字修正程度による連続的な再投稿なら、禁止された二重投稿と精神が同等になってしまう。
 先述したことだが、科学情報の理解と説明、刑事事件の推理構造、この両者をになう脳がもしも事実別種であるならば、なおのこと一度忘れるというプロセスは必然のように感じられる。機械的な再投稿をまだ違反とは規定しないが、落選後、最低二年の時間は開けて欲しいとお願いをしておきたい。

最終選考作品

ゾリアッギ、という伝説谷門展法

梗概

 南米の奥地、未開の地に住む未接触部族、ロホ族の村で、湊城優矢はいきなり、赤い部族に襲われる。多少の抵抗も虚しく、捕まる。映画監督になりたく上京し、流れ着いた製作会社の一部門であるAV撮影、秘境の男との絡みを撮るドキュメンタリータッチの現場に同行していた。その撮影スタッフ達も、捕まった。
 湊城に怪我を負わされた鼻牙の男からの執拗な甚振りに絶えながら、赤い部族の村に着く。生贄場で磔にされ、ロホ族は殺されていく。撮影スタッフも殺された。湊城の番がきた時、黄色い雨が降り、パニックになる赤い部族達。そのどさくさに紛れ、どうにか逃げられた湊城は村の外れの死体置き場の穴に、死体のふりをして隠れる。重なってきた屍が蓋をした状態になり、抜け出せない。必死で動き、どうにか抜け出す。通訳兼ガイドを売り込んで同行していた気弱なゴエと、ロホ族のウロに出会う。ウロは、赤い部族に奪われた妻を取り戻すという。とても勝ち目がない、せめて加勢する部族を探せと、湊城は提案する。そんな加勢が見つかれば、逃げ道を教えてもらい。去るつもりだった。
 しかし黒豹に襲われ、ウロとゴエは穴へ落ち、黒豹を無力化した湊城は罠に引っかかり、大木からぶら下がる。緑目の部族の親子が現れ、助けてもらおうとした矢先、罠を仕掛けた部族に襲われる。反撃する中で、湊城は罠から外れる。罠を仕掛けた部族を倒したところを、赤い部族に襲われる。救ってくれたのは、ウロとゴエ、助監督の岡野だった。鼻牙の男を人質として連れていく。
 緑目の親子の村に行く。途中、赤い部族が襲った村々を見る。赤い部族は、この一帯を征服しようとしているのか? 親子の村に、女優の亜弥がいた。村は、赤い部族から身を守ろうと、攻撃に打って出るという。その決心がついたのは、湊城が、伝説の闘神ゾリアッギだから、だという。ゾリアッギは、大木から生まれ落ち、黒豹を無力化するという言い伝えがあった。ただの偶然だと否定する湊城に、亜弥が、命を救ってもらった恩義を感じて行動しろと嗾けられる。映画で培ったものを駆使し、緑目の部族と共に、赤い部族を倒していく。
 ウロの妻を助けたと思った時、妻は鼻牙の男に矢で殺される。岡野も傷を負った。ゴエによって、鼻牙の男は既に殺されていた。その殺され方で、湊城は、あることに気づく。未開の地に別れを告げ船に戻る途中、ゴエは本性を曝け出し、襲ってくる。先に気づいた湊城によって怪我を負わされ、捕まる。ゴエは、未開の地の生まれで、文明の侵入侵略によって、両親や縁者を亡くしていた。その恨みが歪み、未開を紛争地域にして封鎖し守ろうという、狂った考えになっていた。
 船に戻るとプロデューサーの及川がいて、湊城は、彼の不審な様子を見抜く。彼も、かの地を紛争地域にして封鎖しようとしていた。かの地に、肢体再生新薬の元を見つけ、それを独り占めしようとしていた。資金が尽いた為、撮影にかこつけて、最終確認に訪れていた。一瞬の隙をついて及川を倒すが、打ち所が悪く、彼は死んだ。山奥深くに捨て、戻っていく。
 ペルーのイキトス警察にゴエを渡し、湊城と亜弥は夕食を取る。そこで、世界的な犯罪者が今夜、イキトスから移送されるニュースを見る。湊城の中で、幾つかのパズルが、嵌っていく。ゴエに成りすました男の真の目的は、その犯罪者の奪還だった。全ては、その為に仕組まれていた……。

選評島田荘司

 一種の異郷冒険譚ミステリーで、アマゾンの未開の奥地に出かけていった撮影隊が、近代文明にまだ知られていない危険で闘争的な部族に出遭って、命がけの冒険をする物語である。いきなり拉致され、部族間闘争に巻き込まれ、二種族のうちから多くの戦闘員が命を落とすし、日本人撮影隊スタッフも、残虐な方法で殺害される。物語の舞台は大半、文明からも警察からも隔絶されたアマゾンの奥地になる。
 冒険を終え、命からがら日本本土に逃げ帰った一人の助監督が、現地で撮り溜めた貴重な記録映像のうちから残虐な人死を映した部分を除いてつなぎ合わせ、記録映画を作るのだが、小説はこの映像作品をにおわせるかたちでつづられる。これはよい手法に思う。
 この映像の鑑賞なら、生々しいスリルとともに臨場感を味わえて、もっと別の感想になったろうし、おそらくはもっとほめられただろうと感じる。当作品は、こうした映像を文字に翻訳し、語られた文芸作品なので、文体の巧拙や、語りのリズム感、人間描写の善し悪し、繰り返しの有無、台詞が粋かそうでないか、等々の印象に大きく左右されてしまい、映像作品たるアイデアの手前で、文章の巧拙で評価を行わなくてはならない現実を、いささか申し訳なく思うような気分があった。つまり、映像作品としてなら、もしかするとよいものなのかもしれないのだが、文芸作としてなら、文章レヴェルから、あまり高い評価ができない印象があった。
 作には好ましいところもある。たとえば映画監督志望の主人公、湊城は九州から上京し、多くの挫折を体験しながら夢に向かって進んでいる男で、こういう陽の当らない人物の心情がリアルに描かれるから、小説家の苦労話とはまた違ったさまざまな厳しい現実が語られて、興味を惹かれる。
 しかし遺憾ながら、小説の技術として見れば、この執筆はまだ初期的な段階にあるように感じる箇所が多かった。以下で若干そうした箇所を挙げてみれば、事件や眼前に展開する風景の描写で、繰り返される口癖のような言い廻しが少々気になる。ひとつのシーンをためつすがめつ、さまざまな角度から幾度も語り、しかしそれはただの繰り返しで、こちらの理解はさして深まらない、というふうな様子があった。これらは要領のよい一度の描写ですませて、先に進まないとリズムが出ない、と思わされるようなところを、前段にたびたび感じた。
 意味の感じられない冗長の体質が書き手にあり、テンポが死んだ文体があちこちで停滞を起こして、ついには読むことに飽きて来そうな気分が来る。これらは作家が今後経験を積むことで解消されて行く性質のものに思われる。
 群像描写の初期段階で小説家がよく陥る誤りに、メンバーのしゃべり口調を固定して、人間を区別させるという手法がある。たとえば徹頭徹尾敬語丁寧語しかしゃべらない人物がいて、恐怖の場面でも、みなが口々にたたみ込む楽しい団らんの際も、相手が目下であっても子供であっても殺人鬼でも、辛抱強く敬語口調をくずさない人物。これなら自分が殺される際も、丁寧語で怒りと怨みを述べながら、死んで行きそうである。
 相手が年長者でも、高位者でも、殺人者であっても魅力的女性であっても、相手の気分におかまいなく、ぞんざいなヤクザ言葉だけを口にし続ける人物。これは女言葉をしゃべればそれは女と解る、という理解の敷衍で、こういう集団なら区別が容易にはなるかもしれないが、あまり現実的ではない。殺人行為直面を含む現実において、なかなかこういう振る舞いは続けられないから、ドラマからビリーバブルな気配がそこなわれてしまう。
 必要最低限のリアリティを保ち、しかも短い紹介文体や、演出した場の空気を用いて、読み手を混乱させない巧みさが、小説書きの技というものである。この小説においても、どのようなパニック的局面であっても、「これは残酷っすね」と言い続ける脇役が出て来る。おそらく彼もまた殺された際、「ぼくは今死んでるっす」などと言いながら死にそうである。
 企画設定の構図にも、首を傾げる点が多々ある。撮影隊は南米大陸のこれほどの奥地に、それもAVの撮影に来たというが、AV程度でそこまで大予算を組み、水食料などの多大な準備と、命がけになるまでの覚悟を要する企画が、それでもペイすると発想されるものなのだろうか。八ヶ岳や軽井沢で手軽にすまされないものなのか。
 この冒険旅行には、むろん背後にさまざまな事情が隠されていて、現地の人物の殺害を依頼された男がクルーにまぎれていたり、部族間で闘争を起こさせて危険戦闘区域指定を誘導し、観光客立ち入りを封じるための画策であったこと、などなどが説明されるのだが、後段でそれらが打ち明けられても、本格ミステリーの解明レヴェルの驚きとカタルシスはない。伏線の不充分さもある。
 またそのどれもが、ここまでのことをしなくとも、AVヴィデオの撮影と同様、もっとたやすく、安全裏に、あるいは全然別のアプローチで、実現を目指せそうなテーマに思われる。
 さらには主役の女優、澤北亜弥に関して、素朴な疑問が多々湧く。この女優は美人で、語学が堪能で格闘技の素養があるというスーパーウォマンで、いずれ世界を相手に女優として打って出る計画を持っているそうだが、それなのにいきなりAVに出演してもよいものなのであろうか。今後の多大な努力により、それでも夢は実現するものなのかもしれないが、通常は女優活動開始期にそうしたリスクは、避ける判断にならないか。AV出演時の画像は、今後永遠にNET世界に残ってしまうはずだが。こうした洞察は、すべてAV界への偏見なのであろうか。
 さらにはクルーが全員拉致されて離ればなれになり、主人公湊城が奇跡的に主演女優と再会できたというおり、現地人のみならず、日本から来た仲間が磔にされて腹を十文字に切り裂かれ、内臓を出された上に斬首されるというまでの極度の残虐を見聞きして、恐怖感も無限大と思われるのに、まるで原宿の街角でばったり出会ったような、能天気にはじけたおちょくり言動をするものなのであろうか。彼女自身にも、再会までに絶えず命の危険があったはずで、都会育ちの女性なら、精神に重大なダメージを負っていても不思議ではない。
 極限的危険はまだ去っていないのに、からからと笑って、「あたしからのスキンシップを加味した挨拶を、攻撃? ふざけたことを言ってくれるじゃない!」などと傲慢な言われ方をして湊城は真顔になり、「数多くの人間が殺されたという現実を忘れられる。一瞬でなく、この笑顔がある限り忘れられる、そう思える」などと意味不明の歓びを爆発させる。
 しかもこの女性は湊城の大事な思い人ではなく、ただの仕事仲間である。これは現代女性の口調の上手な描写こそが現代作家の勝負技、の勘違いに思われる。どんな場所でもそれを行えばいいわけではなく、ここはそれをすべき局面ではない。極限的な恐怖から、彼女は夢遊病者のような自失状態に陥っていても別に大袈裟ではなく、むしろ信じられそうだ。
 そもそもこれだけの美人女優が原住民に拉致され、何ひとつ危害を加えられていないのはいったいどうしたわけなのか。何故彼女だけが特別扱いされたのか。あんまり強いから、武器を持つ兵士の誰も手が出せなかったのか。それならどうして再会までにこれほどの時間がかかったのか。彼らはいったいどういうAVを撮ろうとしていたのか。このあたりには少々ついていけず、脇役の死や極限的な苦痛に鈍感な、エンターテインメント映像作家に特有の心性を疑わせる。
 これでは前段のパニック描写と、映像がつながらなくないか。それまでの大量死の悲惨はいったい何であったのか。ヴァーチャルな肉体群の作動停止程度のことであったのか。「空気読めない」という言葉が世間にあるが、これこそはその盛大な例に思えるし、美人女性を前にすれば、彼女の思想信条性格とは無関係に、機械的に主役化し、理想化してしまう、これもエンターテインメント映像の送り手の、慣習体質を思ってしまう。
 やはりこの人は映像の人であり、ドラマを言葉で描写することが得手ではないのかもしれない。文体そのものを磨きたい、あるいはテンポある文体を作り出して人のドラマを手際よく語り、文体それ自体で勝負をしたい、という欲求は乏しく感じられてしまう。
 あるいは植物の蔓で捕虜の手を縛る、これはとりあえず可能ではあろうが、強靭な蔓なら隙間ができ、すぐに手を抜かれてしまいそうに思えるのだが。非常に柔らかく、特殊な蔓なのであろうか。
 原住民に伝わるゾリアッギという救世主の伝説に、思いがけず主人公湊城が自分の身を重ねざるを得ない展開になり、読み手としてはようやくこの物語のメインの構図が現れたかと感じて救われ、これまでの停滞感を打ち壊す大変化を期待するのだが、湊城は戦闘員の後方に控えるだけで、戦争はすぐに終了してしまう。またこの闘争の内容が、よく解らない、しかも短い描写で、不完全燃焼の気分が残る。高度な格闘技で敵を倒して行く活劇という意味ではなく、伝説の再現なら、もう少し目を見張らせる鮮やかな趣向を読みたかった不満は残る。
 すなわちこれは、こうした異境での激しい冒険を空想し、それを個室ゲーム的な画像に転換して脳裏に観た少年ふうの書き手の、妄想の小説に思われる。盛大に血が流れても、妙に手応えがない。終始お約束的パターンで殺戮のドラマは進行するが、書き手はさしてこれに悲劇も、危険意識も、感じてはいないふうで、飛び散る汗も、血の匂いも、あえぐ声も疲労感もなく、読み手側のリアリティも、ビリーバブルさも、さして考慮はされない。作家の脳裏に展開するのは、高度化したコンピューターがリアルに視覚化してくれた、ヴァーチャルなゲームだからなのであろう。
 つまりは、映像作家の習性を疑ってしまう。実写映像なら、進行と事件さえ脚本に指定しておけば、生身の役者がそれを演じるのだから、リアリティは嫌でも現れてくる。しかし小説の場合、作家がすべてを書いておかなくては、助けてくれる状況も存在もない。

最終選考作品

息の根止めねば彼らは飛べない五月たぬき

梗概

 二○一○年一月。二十一歳の女性雑貨屋店長が絞殺され、死体の口の中には葡萄十字架と呼ばれる、グルジア(現在の正式呼称ジョージア)の正教会で使われる十字架の形をした木片が詰め込まれていた。犯人と思われる人物から連絡されたURLを見ると、当日の被害者の服装・天候等を予言した歌声合成ソフト「シングロイド」の歌う歌が、十日ほど前にすでに動画サイトに投稿されていた。
 続いて四十代の奇石ライターが、ロシア正教会等で使われる「八端十字架」の形に似せた加工物と伴に死体で発見され、現場に残されたURLには、やはり十日ほど前に事件の発生日を予告したシングロイドの歌が。十字架とあわせて両現場に残されたタロットカードは天使の入った図柄で、現場では翼のついた人間が目撃されている。
 捜査陣が探し当てた第三の事件の予告と思われるシングロイド曲は、六年前に同級生に殺害された予知能力があるのではと言われていた中学生が、死の直前に書き残した詞と酷似していた。第一・第二に事件の被害者たちも、この事件にかかわった者たちだった。
 歌のとおりに、六年前の事件の犯人たち(刑事責任年齢未達につき処罰なし)は、塔のある屋敷で死体となって発見された。魔力で飛び立つところを、天からの礫で撃ち落されたかのような状態だった。死体の周囲には足跡がなく、転落元になったと思われる塔の部屋は内側から掛け金がかけられており、特に一体の死体は塔から六メートルも離れた池の中に転落していたのだ。さらに施錠された部屋の中には、一見無関係に思えるホームレスの女性が、アイルランド十字架とも呼ばれるケルト十字架形の木材にしばりつけられた形で絶命していた。
 新聞記者野上美咲とともに、事件の捜査に巻き込まれたしがないサラリーマン辺利京は、真相をつかみそうになったところ、雪の中に停めた自動車の中から、足跡もなく煙のように連れ去られてしまう。監禁された場所からたまたま逃げ出すことのできた辺利は、犯人が次の犯罪を犯そうとするところをあやうくくいとめるが、その犯人と見なされる人物には第三の事件当日のアリバイがあって……

選評島田荘司

 この作がまた、不思議な読書というものであった。不可能犯罪小説としての構成は、充分に考え抜かれて高度で、謎の数も多く、これほどに多彩な仕掛けをまとった本格系のストーリーは、そうそうはなかろうというまでの体裁で、感心もした。しかもこれら仕掛けは、薔薇の十字架、タロットカード、動画予告サイト、歌声合成ソフトなどを駆使して、伝統のセンスを踏まえ、かつ当世ふうを加味した、至れり尽くせりのものである。
 Y県の屋外で若い雑貨屋の女店主が殺され、口の中には薔薇十字架をかたどった木片が入り、遺体は黄色い派手なコートを着ていたのだが、NETの動画サイトには、なんと彼女の死と、死出のいでたち、格別コートの色の予告、さらには当日の天候までを予知したと思われる音声合成ソフトによる歌が投稿されており、見事に的中させていた。
 六年前、未来が見える能力を持つという少年が、虐めに似た経緯で仲間に殺されており、死の直前に未来予告とも取れそうな詩を遺していて、今日、その詩の通りに死者が出る。
 塔を持つ、雰囲気のある建物の庭先、建物から六メートル先の池の中に死体が一体、その手前の地面にも一体、さらに建物の中にはケルト十字架のかたちをした木材に縛りつけられた高齢のホームレス女性の死体が一体発見される。庭先の死者たちは、六年前の殺人事件の犯人たちであり、背中に金属の翼をつけているから、どうやら建物の窓から飛び出して空中を飛行していたところを、天からの石のつぶてで打ち落とされ、絶命したとしか見えないような外観だった。
 まだまだほかにもあるが、これでもかというような派手で不思議な仕掛けが作中に横溢し、これ以上に本格ミステリーとして達成はあり得るか? とこちらに問うて来るような作者渾身の力作であった。こうした情熱と努力は充分評価に値する。ただこの見え方は、新時代のツールが取り入れられてはいるものの、雰囲気的にも何的にも、先行前例的な「型」を意識したものではあるだろう。ミステリーのセンスに合致し、しかも前例のないものであることがさらに望ましい、というのが選者の考えではある。  続くこの作品の手柄は、ユーモア・ミステリーとしての趣向だろう。刑事コンビの軽妙な軽口や、Y県の地方新聞女性記者、野上美咲の暴走ぶりや頓珍漢さ、彼女と刑事たちとの都度の関わりは、なかなか楽しい場面を作っている。また素人探偵役たる辺利のだらしなさやアル中ぶりも、通例的な探偵役の型を適度に逸脱して、ユーモア風味の感じのよいものである。ただこれも、前例のまったくないものではないだろうが。
 選者はユーモア物を好む者だが、厳密に好みを言うなら、冗談発言のやや大仰な気配が時についていけないし、周囲をうろつく美咲を刑事たちはうっとおしく感じながらも、それは建前の格好つけで、内心では彼女に真剣な関心を持つ気配が少々すぎるし、捜査仕事に受け入れすぎるような違和感にも背を押されて、おじさんたちのユーモア言動が、最近の事件で言えば福田政務次官ふうの親爺センスに寄って感じられ、うまく笑えた成功例が、投手の打率程度に思われるのが気にはなった。  作中に掲げられた歌の詩もいくぶんかそういう印象で、いささかいかつい、重い印象だから、これでうまくリズムやメロディーに載るのだろうか、また詩としての表現の美や、言い廻しのセンス、高揚感などがこれで出ていると斯界に評価されるものか、いくらか心配にもなった。小説のタイトルもこの詩から採られているが、当事件の動機や理由を、的確に抽出したものではない。彼らの息の根を止めてやれば自在に飛翔できるのか? 逆ではあるまいか。作者のモーションの混乱が感じられる。
 しかし展開が後半に入り、このややもすると大袈裟な言動パターンは、「活字の漫画」、あるいはそういうミステリー形式の完成を意識したものかと気づかれてきて、そうならこれもよいのであろうかという寛容な気分になった。
 この習作は、本格ミステリーとしての各要素において、どれも平均以上の達成がなされている。文章力、表現力は充分な経験を感じさせて、初期的な段階は卒業されて感じられる。ユーモア・ミステリーとしての完成度も、世間的には玄人的水準に達しているから、プロとして仕事を受けてもやっていけそうではある。  本格ミステリー小説系の謎の派手派手しいまでの網羅ぶりも、格別ジャンルの国内史がよく勉強されていて、これも一般常識的には好ましいと評価すべき点であろう。
 しかし、にもかかわらず、どうしたことか作中に強く引き込んでくれる気配が最後までない。これなら面白くならないはずがない、というまでの道具立てと準備であるのに、また悪くない人物描写や会話の連続と思うのに、読み進めていくことに、かなりの努力傾注を要する。原稿をどこで置いてもいいような他人事の感覚が来て、いったいどうしてこうなるのか、この作においてもまた、深く考えさせられることになった。
 理由のひとつとして、この驚くべき仕掛けのパズル小説、逆説的に驚きがない。最初に大きく風呂敷を広げ、内部の事件群の驚くべき外観が、自負心に充ちて宣言されるのだが、続く展開は、この宣言を必死に実現しようとする、丹念な頑張りの経過を読まされる印象になるということ。
 この作、「謎→解決」というよりも、「大風呂敷→頑張ってのその実現」といった生真面目な構成になっていて、それともそういう裏方の事情が透けて見えて、泥臭い好ましさは感じる。しかしそういう頑張りのどの瞬間においても、ひたすら努力の汗があるばかりで予想外の展開が現れないから、驚きとか、目から鱗の発見は乏しい。
 それに加え、ややもすると親爺ギャグふうのジョークが力強く補強されてくるので、これがうまく笑わせてくれたり、予想を若干はずし気味の展開を作ってくれないと、前方に待ち受ける段落群が予定調和的な退屈を予感させて、このあたりでちょっと稿を置いて、ほかの仕事でもするかという気分を誘う。小粒でもよいから予想が裏切られる体験をできれば定期的にさせてくれないと、先に向かうエネルギーが湧かない。同時に、まあそこまで丹念に頑張るならば、たぶんこういう突飛な事件現場も作れるでしょうなあという、驚きにはいささか有害な先読みの気分が起ってしまう。
 もうひとつ気になったのが視点で、作中で事件を追跡して行く人物の視線を厳に維持し、前方の出来ごとを順次目撃し、その人物に憑依したまま考察をしていくという三人称一視点の原則が、思わず失念され、この凝った事件現場をなんとか出現させんと汗をかく自分自身に、つい視線が戻ってしまう気配、すなわち書き手の足もとのふらつきを感じた。
 これはたとえば事件現場において、作者が読者に感じさせたい架空のストーリー、つまり魔法にかかった被害者が窓から空中に飛び出し、浮遊中に神のつぶてに打たれて墜落した──、こういうメルヘンに読み手の理解が自主的に到達するのを待ちきれず、期待する絵解きを早々と自分で語って押し付けてしまうという不手際にもつながる。これも初期段階の書き手にありがちなミスで、上手とはいえない。
 さらには、館の壁面や窓を見る現場語りに、三階の窓に届く梯子を早々と登場させてしまうのはあまりの下手打ちで、経験を積んだ読み巧者なら、この瞬間に、もう現場の作られ方に気づいてしまう。ここでなんとか梯子を隠せれば、あるいは短かく縮めてしまえれば、この奇怪な現場になんとか魔法がかけられたのではないか。短くなっている梯子なら、それが伸長可能な構造でも、<読み手は意外に気づきにくくなるものだ。
 懸命の努力と没頭のあまり、厳に維持されるべき全体俯瞰意識が失念されて、必ず隠すべき事実と、大胆伏線となせる表現の選定が、不調になってきたのではないか。ここにも書き手の混乱がある。この点がむずかしいのはよく承知するが、ここは本作のキモになる部分なので、必ず目指すべきといえる。こうしたもろもろの不達成が、作中から延びて来るはずの手の不在、つまりは吸引力の不足につながったのではないか。
 もう一点、自作トリックの完成度や、謎を支えるメカニズム脆弱の自覚から、シリアスを避けてユーモア・ミステリーを選ぶ、という判断も初期的な書き手に往々見られるのだが、当作もそういう由来のユーモア推理なら、賛成はできない。シリアス構成にするかユーモア趣向にするかの判断は、そういう場所で行うべきではない。完璧な完成度を持つミステリーでも、ユーモアものにすべきアイデアはあり得る。ユーモアと嘲笑を区別せず、見下すことを許容する日本型の伝統体質が、こういう誤判断と逃避判断をさせる。こういう背景のユーモア・ミステリーなら、出発時点でワンランク下位の背骨を自覚しているわけだから、A級になろうはずもない。
 ともあれ、世に玄人の仕事として流布しているミステリー本に、当作くらいの内容のもの、あるいはこれ以下の出来のものはいくらもありそうだから、本作に見える努力は、充分に評価されるべきではある。「大風呂敷→頑張ってのその実現」という構図は、大風呂敷も広げられない多くの作品群にあって貴重であるし、小風呂敷とその実現、という程度で売れに売れるプロ作品もたぶんあるに相違ない。完成度をあまりに上げると、日本人には反感を買って買われないという事情もある。日本型嫉妬おじさんが内心で最も好む男性は、やはり福田政務次官だという現実は、心得るべきではあろう。
 そうした意味で、アル中探偵の辺利京は、もうひと筆ふた筆を加えることで、充分魅力的な日本おじさんに化けそうだから、次の事件も読んでみたい印象は持った。酒を交えての美人記者との二人きりの取材現場なら、「おっぱい揉んでいい?」式の発言が彼にも生じるものか否か。このあたりの好キャラクター探り当ては当作の美点であり、筋のよさといえる。脇役たちもまた、なかなか好ましい日本人群像であった。

第1次選考通過作品

異邦の地に落ちた男瞬那浩人

選評担当編集者

記憶喪失の理由は,読み手にも納得のいく説明があり好印象でした。だが、自分自身のの過去の調べ方をもっと現実に即した形で追ってほしい。難しい言葉を小説内で使う場合は、読者に配慮しながらつかってほしいです。

第1次選考通過作品

だから誰もいなくなった田中史明

選評担当編集者

実質の謎解きを、手記で描いてしまうのは、ミステリーの構造としてとてももったいないです。あくまでも推理をたたせる方法で事件の真相を暴いて下さい。別荘を孤立させる意味もよく考えて、必要ないならあえて孤立させる必要もありません。殺人の動機も何故殺すのか、を考えてください。USBの誤表記など、もったいと思います。

第1次選考通過作品

ハイブリダイゼーション―錯綜の白い血―平野俊彦

選評担当編集者

医療ミステリとしてしっかり愉しめた作品でした。骨髄移植による血液型の変異など、うまい作り方をしていました。被害者の女性の描き方などにもう少し注意を払って描けばと思いました。

第1次選考通過作品

悲しい群青姉川桜子

選評担当編集者

ミステリへの強いこだわりと会話のメリハリに好感を持ちました。それだけに、過去のエピソードを前提とし、現在進行形でなく既に終わった過去の事件である、など読者が入り込みづらい要素が残念です。物理トリックに挑む気概は買いますが、多くの読者を納得させるにはより細部にまで工夫が必要でしょう。次作に期待しています。

第回 選考過程・選評応募総数

第回 選考過程・選評応募総数

第1次選考通過作品

413(よんいちさん)小早川真彦

選評担当編集者

気象の知識を多用したシーンに説得力があり、強い牽引力となっていました。文章も飾りがなくて読みやすく、技量を感じます。ただ、恋愛や人間関係のドラマ部分があまりにも紋切り的なことは大きなキズです。力強く他の作品を押しのけるような、実感のこもった物語に挑戦されることを強く期待します。

第1次選考通過作品

恐怖、絶望、そして愛尚原安彦

選評担当編集者

謎の存在の復活のために依代を探している教団がいる、という大きな物語を信じさせる工夫があまりに少なく、常に入り込みそこねていた印象です。失踪した友人を探しているうちに裏の社会へと踏み入れていく流れは魅力的なだけに、借り物ではない、これなら描けるという題材で挑んでほしかったです。

第1次選考通過作品

東山挽歌行久鬼遥風

選評担当編集者

京都を題材にした小説としての密度は十二分でした。が、明らかに詰め込みすぎです。残念ながら、なんのための物語なのか中盤まで判然としませんでした。最初から倶楽部を中心に据えて、その存在を読者に本気で信じさせるくらいの熱量で描けば、それだけですごい物語になるのではないでしょうか。

第1次選考通過作品

冷たい棘柚木原涼平

選評担当編集者

過去のミステリー作品でも名作の多い誘拐というネタに挑み、それをさらに展開させている点が高く評価できます。一方で、登場人物が多くそれぞれの事情について掘り下げていることから、散漫な印象もあります。必要な描写とそこまででもない描写を、よく考えて書いてみてください。気になった点は、10年近く前に公開された映画が最近見た映画として登場していることです。再応募作でしたら、このあたりも注意して修正をしてください。

第1次選考通過作品

白い霧の中で小早川真彦

選評担当編集者

気象を用いたトリックに興味をひかれるものの、犯行の動機、警察側の人物たちの行動の理由、容疑者たちの事情などが陳腐で、気象とはまったく関係のないものになっています。せっかく独特のトリックを考えられるのですから、それを生かせる舞台を考えてみてください。また、なぜ時代設定がリオデジャネイロ・オリンピックの年なのでしょうか。この年でなくてはいけない理由がないのだとしたら、過去の作品に手を入れずに投稿しているように見えてしまうので、注意してください。

第1次選考通過作品

曽根松家野乃はるか

選評担当編集者

一族の秘密に関するミステリとして、重々しい雰囲気がよく出ていると思いました。その一方で、どんなことを謎として追っているのかがわかりづらく、少々読み進めるのに苦労しました。また、この物語がいつの時代を舞台にしているのかも気になりました。血縁関係が複雑に絡み合っていることが物語の鍵ですが、このようなことが実現するのは時代のせいなのか、地域の特性なのかという疑問が残ります。フィクションではありますが、本当らしく見えるようにしてもらいたいです。

第1次選考通過作品

銃口を咥えて眠れ早乙女亮

選評担当編集者

文章も悪くないし物語も順序よく進んでいくけれども、目新しさを感じませんでした。物語重視の姿勢は良いのですが、ストーリーに当てはめたような人現関係は、読者にはご都合主義と映るかもしれません。その点はたとえば登場人物をもう少し整理(減らす)だけでも見えてくるものがあるような気がします。

第1次選考通過作品

革命島山野裕貴

選評担当編集者

スラップスティックには、しっかりとした物語の背骨と読者を引っ張るリズムが必要だと思います。背骨とリズムがあれば「あり得ないくらいの偶然」も「千載一遇」と読者は理解すると思います。そのあたりの深みを作品から読み取ることができませんでした。

第回 選考過程・選評応募総数

第1次選考通過作品

二度あることは片岡京子

選評担当編集者

設定が現実離れしすぎており、たくさん出てくる登場人物も掘り下げが足らず、魅力を感じられませんでした。謎の真相も「わざわざそんなことをする必要があるのか?」と思わざるを得ません。著者自身が楽しんで書かれた作品であることは十分伝わってきたのですが、今後は「読者を楽しませること」を意識して書いていただければと思います。

第1次選考通過作品

この上ない兵器菱口道明

選評担当編集者

文章は上手く、謎の提示までは面白かったのですが、どんどんとストーリーが荒唐無稽になり残念でした。「明智と織田の子孫同士は結婚できない」「鏡文字を書くのはアインシュタインの遺伝子」などは、さすがに無理があると思います。

第1次選考通過作品

死者のノート 3+1瀧本正和

選評担当編集者

落語ミステリというジャンルは興味をひき、作中作「西瓜」の不穏な雰囲気も面白く読みました。謎が魅力的だっただけに、その真相が、ある方面の知識がないと解けないものであったことが残念です。

第1次選考通過作品

メッセンジャーによろしく柴門秀文

選評担当編集者

自転車便で、メッセージに従い各ポイントを回っていくタイムサスペンスですが、文章にスピード感があり、自転車で疾駆している様がとてもよく伝わってきました。アクション描写も巧みでした。ただ、回るポイントの数が多く、繰り返しの展開で単調となり、途中で飽きてしまいました。ラストの真相も説得力がなく、こんな大げさなことをする必然性がわかりませんでした。今後は展開を早くして、引き締まった分量の作品を書いてみてください。

第1次選考通過作品

影からの脅迫状早乙女亮

選評担当編集者

気象予報士の業界(ニュース番組での出演シーンや予報士試験)の描写は臨場感があり、面白かったです。しかしミステリーとしては謎が弱く、話がなかなか進まないのは欠点です。主人公に好感を持ちにくいので、感情移入して読めなかったのも残念でした。登場人物の台詞が時おり古くさいのも気になりました。題材はよいのに、もったいなかったです。

第1次選考通過作品

開けてしまった密室飯田太朗

選評担当編集者

事件が起きるまでの前置きが長すぎます。登場人物の紹介や会話に無駄が多く、いたずらにページが増えるばかりです。密室の謎も、犯人の意外性も物足りない。探偵役も魅力不足です。このように典型的な本格ミステリーを書く場合は、どこが「独創的」なのかが勝負です。アイディアの質をもっと磨いて、「絶対に読者を驚かせてみせる!」という覚悟が重要です。

選評担当編集者