島田荘司(しまだそうじ)プロフィール:
1948年福山市地吹町生まれ。福山誠之館高校を経て、武蔵野美大卒。本格ミステリー作家として登場、話題作を次々と世に送り続けている。ノンフィクションも手がけ、死刑論や日本人論などの文明批評も活発に展開するかたわら、新人の発掘育成にも力を注いでいる。「占星術殺人事件」「写楽、閉じた国の幻」「アルカトラズ幻想」「秋好英明事件」等。

島田荘司からのメッセージ

島田荘司選 ばらのまち福山
ミステリー文学新人賞の創設にあたって

島田荘司

島田荘司です。
このたび、羽田皓福山市長、磯貝英夫館長をはじめとするふくやま文学館のスタッフ諸氏、また、実行委員会諸氏のご尽力によって、「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」をたちあげる運びとなりました。日本のミステリー文学の発展のため、そして福山市の発展のために、当文学賞は必ず有効と確信できるので、目下大変に喜んでいるところです。関係各氏のご努力に対し、ここで深い敬意と、感謝の念を表します。「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」は、地方の賞としては、従来にない大きな特徴を持っています。
以下でこれについて具体的にお話します。

長編の新作小説を公募します

これまでに、東京以外で行われている地方文学賞は、中央ですでに刊行されている小説に、再評価の勲章を授ける性格のものか、短編作品に対して賞を与えるものでした。しかし当「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」は、地方の賞としてははじめて、まったくの新作長編小説を一般から募り、この中から年1度、最高のできの新作ミステリー小説を選んで授賞とし、即刻東京の大手出版社から出版する本格的なものです。
状況に直接的な好影響をもくろみ、即戦力の新人を見出してフィールドに送り込むには、こうする必要があるからです。また、受賞作を即時出版するためには、長編の分量がなくてはなりません。
原稿分量は、350枚以上、800枚までとします。中央の賞に1度落選した作であっても、よく改善されていれば歓迎します。
刊行は、講談社、光文社、原書房が、1年ずつ順に出版を担当していくものとします。

この賞は、優れた1編の新作発見のみを目的とせず、
受賞後も書き続けてくれる才能の発掘をこそ目的とします

したがって、受賞したならば、その作を含め、向こう3年の期間に、3作程度の作品を書いてくれるようなパワーを持つ新人を求めます。これも、即戦力を求めるがためです。現在、少なくとも出発時点ではそのくらいの量産能力がないと、ジャンルに定着しにくくなっています。
このような精力的活動によってはじめてジャンルは好影響を得ますし、福山市もまた、受賞作家の継続作品の質、量により、知名度をあげていくはずです。
そしてこの作家のフィールド定着に、私も、担当年出版社も、全面的な協力を約束します。ゆえに、場合によっては受賞作を私と一緒に磨くことを受けいれてくれる新人を望みます。しかしむろん、その必要がない完全な作の場合はそのまま刊行し、磨くことを条件とはしません。
また、極めて優れた1作が投じられてきた場合、たとえこの人に量産の決意がなくとも、それによって落とすまでのことはしません。ともに磨くことを拒否するのも自由です。

当賞は、あえて「広義のミステリー小説」の公募とはうたわず、本格よりのミステリーを求めるものとします。

 論理性の印象が高い本格のミステリーこそが、ジャンルの牽引力と考えるためで、こうした才能の発見が、今日やや失速気味のミステリー文学に活力を与え、延命の救世主たり得ると信じるからです。
しかし本格度をやや薄めた、備後地方を舞台とした旅情ミステリーも、地方民話ふうの怪談も、福山市を舞台としたミステリー風味の恋愛小説、冒険小説も、応募されてよいと考えます。読物としての魅力があれば、こうした作への授賞もあり得ます。
しかし、こうした傾向の作例の方が、受賞により有利とはしません。受賞後、ミステリー文壇の中心にすわり、ジャンルが牽引できるような才能の発見の方が、長い目でみれば、必ず福山市の広告にも貢献すると考えるからです。

新賞の性格の説明は以上ですが、以下で上の各項目の、より詳しい説明を行います。
興味のある方はお読み下さい。

本格のミステリーとは何か

今日で言う本格のミステリー文学は、今を去る150年の昔に、アメリカの作家、エドガー・アラン・ポーによって創案されました。ポーの創作の精神をひと言で言えば、それまでに盛んであった幽霊譚などのミステリー(神秘)現象を、当時台頭してきていた科学の精神によって冷静に解析し、合理的な説明をつけて着地させる新しい小説作法、という説明になるでしょう。すなわち、神秘現象の表現に、論理思考の方法を衝突させた流儀ととらえることができます。この科学的な解明態度が、幽霊現象の表現以上に魅力的だったので、非常に高く評価されました。
この作風を引き継いだイギリスの作家、サー・アーサー・コナン・ドイルが、シャーロック・ホームズという魅力ある思索家を創造したことで、このジャンルは爆発的に読者を獲得し、世界中に広まり、以降多数の才能によって書き継がれて、一大ジャンルを形成しました。
20世紀が明け、アメリカにS・S・ヴァン・ダインという作家が現われて、謎解明の論理思考をさらに発展させ、推論時の諸ルールまでを整備したゲーム型の作風を提案します。これが世に歓迎され、以降効率よく名作が輩出されたので、ジャンルはさらに大きく発展しました。
この作風は日本にも輸入され、甲賀三郎によって「本格のミステリー」と命名され、横溝正史の一連の傑作を産むなどします。「本格」という語は、当時日本で非常に多くの読者を持っていた、江戸川乱歩の見世物小屋的作風を「変格」のものと形容したため、傍らに産まれ落ちた表現です。

何故本格でなくてはならないのか

以降ミステリーの小説は、この「本格」ものが中心軸と考えられるようになり、これにさまざまな趣向の衣をまといつかせるようにして、ミステリーのジャンルは充実していきます。アメリカのダシール・ハメットや、レイモンド・チャンドラーが確立したハードボイルド作風、イギリスの、鉄道技師出身の作家、F・W・クロフツが始めた鉄道のアリバイくずし作風、これを発展させた日本の旅情ミステリー作風、また乱歩の考案した奇形や晒し首、裸女等の江戸ふうの扇情趣味作風、また本来的なホラー作風もさらに進み、このそれぞれが多数の読者を獲得して、大いに発展してきました。
こうして現在、「ミステリー」という呼称は、こうした各小説グループを総合した際の呼び名として定着しています。こうした把握の人口膾炙に不安を感じ、「広義のミステリー小説」という言い方で、より念を押すこともあります。しかしいずれにしてもムーヴメントの中心には、常に「本格」の作例精神があり、これが全体を牽引するという構造が生まれて、今日まで続いています。
日本にもまた、ポー、ヴァン・ダイン作風の輸入の以前から、怪談語りの長い伝統があり、これはホラー作風と了解できますから、むろんミステリーの範疇にある物語です。したがって小泉八雲の名作「怪談」などは、当然ミステリー小説と考えられます。現在も人気を保っている鉄道の旅がからむ警察小説、テレビの刑事犯罪ものも、ミステリーに含まれます。夏目漱石作品の一部や、芥川龍之介作品の一部も、ミステリーととらえ、楽しむことができます。こうして戦後日本の出版界は、このような広義のミステリー諸作が、全小説出版物の八割近くを占めるというまでの隆盛ぶりを示しました。

似た傾向はアメリカでも見受けられます。アメリカでは、ホラー作風とハードボイルド作風がこのところの主流で、本格寄りの作品はもう書かれなくなり、この部分はほぼ消滅しています。理由は、ハリウッドの台頭にあると思われます。映画というエンターテインメントにおいては、高度な論理性よりも、幽霊話や神秘的光景の提示や、暴力や射撃、カーチェイスや性的描写を多用する作例の方が、強い刺激を欲する映画の観客には好まれました。「本格」の流儀は、以降多くの読者は獲得しづらくなり、ライターの多くが収入のよい映画化原作の方向に移動して、「本格」は書かれなくなっていきます。
これにともない、ミステリー文学自体が、アメリカでは徐々に存在感を失速します。イギリスにおいても、フランスにおいても、事態はほぼ同様です。しかし述べたように、日本においてのみは、例外的にこの文学ジャンルが隆盛を誇ってきました。
この理由を考えると、日本においてのみは、論理性重視の「本格のミステリー」が元気であり、傑作を産み落とし続けて長く隆盛を保っていた事実を、見逃すことができません。旅情ミステリーも、テレビの刑事ものも、ホラー小説も、「本格」が至上とする科学的論理性をやや薄めつつ、一般的な物語性重視の方向に重心を移した作法と、了解することができます。
そしてアメリカの状況などを見れば、「本格のミステリー」が勢いを失っていけば、これに引きずられるようにして、周辺のミステリー小説群も次第に失速していくという傾向が、どうやら観察されます。

本格ものの失速傾向

すでに述べたように、「本格のミステリー」とは、幽霊話などの神秘現象(ミステリー)に、論理思考(いわば頭脳に『本格的』に気合を入れて思考する科学的態度)を衝突させる作法と理解できるわけですが、日本には、この双方の、非常にしっかりとした伝統がありました。怖い話を好む伝統と同時に、「塵劫記」や「算額」奉納に見る数学遊びの伝統は、江戸の当時、世界最高の知的水準にありました。こうした嗜好は、近年では「頭の体操」ブームなどに見ることができます。
つまり「本格」の「ミステリー」とは、「怪談」に、「頭の体操」が合体したような文学と、そうとらえていただいて大過はありません。日本ではこの双方に、たまたま確固たる精神と、その受け皿が完成していたわけです。
ところがこのところ、日本の文壇や出版界においても、ミステリー文学のジャンルに翳りが出ているとささやかれるようになってきました。ハードボイルド小説が勢いを失い、ホラーが失速し、SF 小説群も新作がなかなか見当たらなくなってきています。この理由を考えながら本格の部分を見渡せば、この分野もまた、あきらかにかつての力を喪失しつつあります。傑作、名作の輩出度合いが、以前よりは低下しています。
ミステリー総体が斜陽化していく理由として、やはり日本においても、本格のミステリーという大黒柱が勢いを失いつつあるからと、考えてよさそうです。
本格作風の体力低下は、新しい作風が発見できずにいるがゆえと推察されます。昨日までのいわゆる新本格のブームは、述べたヴァン・ダインの流儀を、記号化という斬新な日本語表記法を工夫することで取り込み可能とし、革命的なブームを巻き起こしました。この作例が現れる以前は、やはり本格の作例は書き手が少なく、勢いを失っていました。
このような事件の必要性は、現在、以前にも増してあるといえます。今日再び、革新的な表現方法を発見し、持っているような才能こそは、発見が待たれます。

審査員を一人とする理由

けれどこうした把握は、現状ではなかなか大勢に理解はされません。また革新的な作風の登場は、新人ゆえのやむを得ない文章力の未熟さや、日本流の新人威圧慣習から、必要以上に冷たくされがちです。このため、結集して防御していく経過で、抵抗心のあまり新人側にも必要以上の排他性や、政治的、立腹的、傲慢的な傾向が生じました。 
かつて新しい表現を発見してヴァン・ダイン流儀を導入可能とした新作法登場の際も、大いにバッシングが巻き起こり、新作法の構造や意義を理解する人は少なく、この時の不要な摩擦の傷痕が、今も引きずられています。否定現象の根拠を簡単に説明すると、意図的な記号化表現が未熟さのゆえと誤認され、実際にあった文章力の不備が、この誤解に力を与えたということです。
こうした新才能に存分な力を発揮させ、不要な日本型の摩擦を回避するには、上から接するのではなくて、友人としての対等のつき合いから、達成を誘導することが得策です。見下し傾向を抱きがちな衆目に抗するために、場合によっては新人当人とともに受賞作の表現を磨き、質を高め、そののちに出版することも考慮の要が生じます。こうしたことは、選考委員が身軽でないとできにくく、最終選考者を一人とする理由は、ここにあります。

新賞立ち上げの目的

日本の本格ミステリーの影響により、現在台湾でミステリーのブームが起こりつつあります。韓国でもその萌芽が感じられます。タイランドも同様です。  現在は地方の時代であり、グローバル化の時代です。私は遠くない将来、台湾、中国、韓国、日本がミステリー創作でひとつにまとまり、世界のミステリー・シーンを牽引していく時代も、興し得ると感じています。
一方本家の日本では、これとは裏腹に、ジャンルの失速がささやかれる事態が訪れようとしています。ここへの活力の導入は、急がれなくてはなりません。
地方や海外の才が台頭し、「本格のミステリー」という主軸を支えることによって、ジャンルは延命の力を得るように、現在の私は理解しています。もはや中央・地方の区分とか、国籍さえも、意識する必要のない時代に入っています。
またnet 時代の到来は、情報発信に、地方がハンディキャップを意識しなくてはならない時代を終わらせつつあります。

これが「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」を、今地方にたちあげたいと私が考える理由です。
述べた通り、この賞の開設には、ふたつの目的があります。ひとつはミステリー文学のジャンルに活力を与え、再び活性化させ得るような、即戦力の発見。もうひとつは、最近とみに魅力を増している福山市の認知度を、全国規模にあげることです。
この賞が成功裏に推移し、実績をあげていくならば、これら双方ともに、達成は可能と信じています。

2007 年4 月