第6回 選考過程・選評応募総数60

第一次選考通過[ 18 ] | 最終選考[ 4 ] | 受賞作[ 1 ] | 優秀作[ 3 ]

今年の福ミスは,候補作四作をすべて世に出した第三回と似ていた。ただし全体の出来は,あの年よりも二メモリくらい低いという印象だった。
全作がBプラスの完成度で頭を並べ,整列している印象で,頭頂部がわずかに飛び出して見えたのが『フロンタルローブ』だった。  しかしこの作をはじめ,他の三作もすべて,楽にAになれるポテンシャルを秘めている。しかも完全に並んでいるから,優劣を付けることができない。そうなら今年もまた型破りの判定を成して三作はすべて優秀作とし,出版を目指して磨いてもらうことにした。
磨きの手際が悪かったり,情熱度が不充分なら,出版には届かないことも考えられる。しかしおそらくは全員,充分な情熱を見せてくれるものと期待している。

島田荘司

受賞作

フロンタルローブ
(出版時「経眼窩式」に改題)植田文博

梗概

遠田香奈子はある時,十年以上前に失踪した父親を偶然に見かけた。住んでいるアパートを探し当てるが,そこにいたのは,認知症のようになっていた父だった。同じくアパートに親族がいるという楡川隆也に出会い,彼からアパートの住人全員が父と同じ状態になっていることを知らされる。
二人は協力し合いながら調べはじめ,アパート住人全員が生活保護を受けていることを知る。さらには個人病院の医師たちが結託し,医療扶助として全額支給される医療費を得るために,必要もない検査や手術をアパート住民に受けさせている事実を突きとめた。
しかし住人たちは何故,苦痛をともなう不必要な治療に堪え,従順にしたがっているのか。
個人病院の医師たちをまとめていると思われる杜若病院。そこについて調査を進めるうち,住民たちは,脳の一部を切断するロボトミーと呼ばれる手術をされている可能性が浮上する。それは協力していた楡川の推測だった。しかし,遠田はロボトミー手術に関する彼の異様な知識に疑念を覚える。同時に好意も抱きはじめており,相反する感情に板ばさみとなっていく。
数々の謎について突破口になったのは,杜若病院の副院長,杜若周一だった。彼は院長である杜若幸一郎の息子だった。彼は何故か,ロボトミー手術に使われたと思われる道具を人前で平気で持ち歩いたりするなど,奇妙な行動をとっていた。
彼の過去について調べていくうち,彼と交際していた清谷望美という女性に行き当たる。彼女とのやり取りから杜若の奇妙な行動の理由ついて,楡川は八年前に起こった交通事故にあると言う。事故の際,杜若は頭部を強打していた。結果,脳の前頭葉に障害を起こし,ロボトミー手術を行う一方で,犯罪の証拠を持ち歩くといった矛盾する行動を繰り返しているのだと。
納得できる部分はあるものの,遠田は楡川への疑念もふり払えなかった。しかし,遠田はその直後に拉致され,犯人が杜若周一であることを思い知らされる。ロボトミー手術をされかけた遠田だったが,助けに入った楡川によって窮地を逃れ,杜若周一は逮捕された。
事件から二ヶ月。遠田は調べ続けていた。腑に落ちないことが多すぎた。情報のかけらを寄せ集め,遠田はある結論へと達する。

選評島田荘司

この作品の評価が,下選考の編集者諸氏に意外に低かったのは,地味で意味不明の,このタイトルのせいも大きいように思われる。これは脳の部位を示す英語で,「前頭葉」のことである。Frontalは前方,前面の,Lobeは丸い突出部を意味する。
かつて医学に精神外科という分野が存在し,このフィールドの医師がさかんにロボトミーと呼ばれる脳の切開手術を行い,さまざまな問題を生じさせて社会問題化したことがある。この手術の問題点は,医師が勘をにぶらせないため,間隔を空けずに手術を行いたがり,必要以上の手術が行われがちで,医学的に必然性が充分とは思われない,暴力傾向の犯罪者に対しても為されたこと,術者の不手際で,脳内にクリップが残されるなどし,患者に必要以上の苦痛を与えた症例,また想定以上に廃人化傾向を示す被手術者が現れたこと,などがあった。
この物語の優れた点は,公的には滅んだと思われていたこの術式を,昨今話題の「貧困ビジネス」と結びつけ,現実社会に置いてみせて,生じるであろうさまざまな悲劇をシミュレーションして見せた,まれな着眼にあると思う。結果として,かつての清張流自然主義とはまた違った意味での,考えさせる社会派作品が現れた。
現実の日本においては,こうした犯罪は,露見率とか犯罪立証性の高さ等から,リスクと引き合いにくく,なかなか行われがたいとは思うが,発展途上の国においてなどは,充分な蓋然性,危険性があると思う。
この作品の手柄は,陰惨になりがちなこうした異常な犯罪を,一遍の恋愛小説の仕立てにくるんで,重いテーマにも関わらず,非常に面白く,ある意味さわやかに読ませたことにあると思う。
主人公の女性が,若年期に親の暴行に遭って眼球破裂という異常な傷害を負って義眼になっているという設定も,この物語の異常性や反社会性の問題提起をより鮮明にし,解明を複雑化し,想定される解決案を複数前方に生じさせて,犯人を不明にした。結果として,物語を本格のミステリーによく近づけた。
こうした着眼や,執筆開始前のストーリー設計に,作者の手腕を感じた。彼女のこの義眼が,事態の見え方に何らかのかたちで具体的に関わっていると,さらに本格のセンスに近づいたかと思う。
この作者の,新人離れのした力量を感じた点がふたつある。ひとつは,女性の書き手かと見間違うほどに,ある方向の女性の心理を,きわめて上手に描写して,全体に強い説得力を醸したことである。
親の暴力によって片目にハンディを背負い,内向的傾向を強めた若い女性への,同情一方に傾斜しないリアルな心理描写,とりわけ彼女の保身の意識に踏み込み,孤独な現状を,過去にこうむった親からの暴力とか,自身の不運に引き受けさせてストーリーを組みがちな女性心理など,観察の筆に感心した。こういうものが,もうひとつの悲劇の進行となってこちらを吸引し,物語全体をよく引っ張り,着地地点の爽やかさを作り出した。
イケメンの楡川に,あらがいがたく傾斜していく主人公の女心とか,力を持ちながらロボトミーを施されて肥満し,駄菓子をむさぼるもと女性ライターの姿,父親の悪意に引きずられて生涯を棒に振る息子の医師,これに恋した強気な女性の横顔の点描等,手際のよい筆さばきはあきらかである。過不足のない文章力に加え,天賦の語彙のセンスを感じた。
もうひとつは,これと一部重複することになるが,新人賞挑戦段階の書き手とは思われないほどに,見事に光る描写を,随所に感じたことである。これは個人的には,探偵小説の表現の固定化,前例踏襲の繰り返しで形骸化したフィールドに,突如登場した松本清張の異質の筆を思い出させるほどだった。
たとえば,憧れていた楡川に,思いがけず「好きだ」と告白された際の主人公の気持ちの描写。この時の彼女は,楡川に拭いがたい疑念を生じており,それがすでに飽和点にまで高まっていたので,この告白を素直に喜ぶことができない。
地面が揺らいだようなひどいめまいがした。遠田は離れそうになる手綱を握り締め,目を閉じた。夢見ることさえおこがましいと思っていたこと。これは痛みだ。はっきりと自覚した。告白した彼の真意は違うところにある。それを知らなければ,気づかなければ,自分はどれほどの幸福に包まれていたのだろう。だが,もう都合のよいことだけを見て生きるのはやめたのだ
といった描写。
遠田は捻じ切れそうな感情を蓋の下に押し込め,たどり着いた答えの扉に手をかけた
などという描写は,詩の表現にも通じる,浮き立つような心の動きを上手にこちらに見せる。喜びも悲しみも,風のように浮遊する詩の輝きに包んでしまう,この書き手の天性の描写の才が読み取れる心地がした。
        〈中略〉
こういう作者の桁はずれの純情とセンチメンタルに,同意できるか否かが結末へ向けて,思い入れた読書を続けられるか否かに作用して,この作への評価の分かれ目になりそうである。
一読者としては,多少の違和感を感じたことは事実である。作の評価軸に,ぶれを生じさせてもしかるべきかとも考えた。
しかし主要登場人物のこのような異常な判断が,後半の展開をもつれさせ,主人公の判断を誤らせて,展開をミステリアスに込み入らせたことも事実である。またこうした点を思うまでもなく,リアリティを持ち出して結末部を変えるべきとまでは考えなかった。これは書き手の個性であり,このままで,ストーリーは充分にビリーヴァブルの範疇にあると思う。

優秀作

麝香草荘のユディト
(出版時「焼け跡のユディトへ」に改題)川辺純可

梗概

昭和二六年十月。矢代は広島県のとある町を訪れる。疎開後も過ごした四国で母が病死し,伯父を頼って上京途中に立ち寄ったのだ。目的は母が元の嫁ぎ先に残した異父姉「しおん」を探すことだった。
かつて海軍工廠として栄えたその町は占領軍(GHQ)による事業制限が厳しく,未だ造船都市として立ち直るに至ってはいなかった。矢代は偶然知り合った製麺屋河本タケシの家に転がり込むが,タケシの姉の一人が「シオン」という名であると知って驚く。しかし新たに「槙紫苑」という女性の生い立ちを聞くにつけ,彼女こそ生き別れた姉であると確信する。美貌の紫苑は,嫁ぎ先の商家から子どもを連れて町に戻り,血も涙もない手腕で成功した有名な仲買人だった。
その頃,町は新制高校の女教師,嶋沢はま子が何者かに殺害された事件「はま子さん殺し」の噂で持ちきりだった。美しく化粧をした上に泥眼という怨霊面を被り,全裸でプールに浮かんでいたのだ。矢代は河本と訪れた遊郭百花楼で,首にほくろのある遊女「もみじ」こと徳原京子を見かけるが,彼女も翌朝廃ビルの谷間で,面を被った全裸死体と化した。その様子はまさに「はま子さん殺し」の再現。
そんな中,矢代は河本シオンの手引きで槙紫苑の屋敷を訪れ,心優しい紫苑と,造船所の米国人技師ディックに出会う。ニューヨークに本社を置く彼の会社は,戦犯工場である工廠の船渠を買い取り復活させ,巨大油槽船(タンカー)を造ろうとしていた。
ディックは流暢な日本語を操り,GHQから事件の解決を依頼されるほど頭脳明晰な男。取り留めなく語るうち彼らは,殺しの形態や名前に,新古今和歌集「三夕」に関わる奇妙な繋がりがあることに気づく。ディックが被害者について調べはじめてまもなく,面の制作者である美術教師,竹森が検挙される。無事解決と思われた数日後,今度は槙紫苑が襲われ,同じ能面が残された。ディックの機転で未遂には終わったものの,事件は振り出しに戻ってしまう。さらには釈放された竹森が,矢代の持ち込んだ餅を食べて死亡。追い詰められた矢代はタイム荘の防空壕に落ち,動けなくなってしまう。折しもルース台風が近づき,高台のタイム荘は町より遮断。燭台の灯りの中,謎解きが始まる。

選評島田荘司

一読目,前半部の展開が,どうにも標準的,平均的,すなわち平凡であるように感じられて,歯がゆい思いがついて廻った。この小説が作者の五作目であり,すでに彼女のファンになっている読者に供したものならばこれでよいであろうが,一作目としてなら,受賞の水準に達する特殊感,突出感覚が果たしてこれにあるものか,と悩んだ。
表現は達者の部類に入るし,登場する複数の女性たちの描写も巧みである。会話相手の言に敏に反応する女性たちの繊細な思考の推移も,裏面の保身発想を感じさせて説得力があり,表現に不満はない。地の文の格調もあり,充分な執筆経験をこちらに感じさせてくる。
しかしまもなく出現する日本画的な現場風景や,これを受けて展開するその後の人間関係は,この種の物語を何十年も読み続けてきた者にはいたって標準的であり,定型に育った前例を模したものに感じられて,これはおそらく作者の想定を越えて,計算違いのかたちに通例的になってしまい,こちらをなかなか刺激してこない。
警察がほとんど登場してこない展開や,唯一の捜査官たる白人調査員のあまりの常識人ぶりもこれに関わっていそうで,強いと言ってよさそうな既視感覚が休みもなくこちらを襲って,読書の意欲を持ちあげてくれない。読書というものは,未経験の情報収集であるという感覚がないと,本来意欲が高まらないものなのであろう。
中段の変奏部に入ってもこの様子は拭われず,後段にかかってもまだ駄目で,これはこの作,上等の部類ではないのかもしれないとあきらめかけた。ところが結部の謎解きに入って俄然面白くなりはじめ,作者のさまざまな思惑の歯車がうまく噛み合ってきて,推進感が立ちあがった。満を持して隠していたふうの情報や,作者の計算が文章の力を増して,猛然と駆動を始めた印象があり,ようやく本領が発揮される感覚があった。
着地にいたれば,槙なにがしというしたたかで見事な女性を,よく描ききったという感心と感動がきた。そうして前半部分では,『dog pound』に一歩も二歩も譲って見えたこの挑戦が,乱れぬ軸足とともに着地を決めた瞬間,得点数で一歩リードしたと見えた。
それで翻って前段を考えることになり,前半部のいわば問題提起編のドラマが,何故にかくも凡庸に感じられたのかについて考えた。前段を,結部と同レヴェルの感心と感動に持ちあげるにはどうすればよいのかについて,策を考えてみることにした。
むろん現場周辺に漂う絵画的な静けさは,作者の意図するところであったろうが,これがそのまま静かな興奮にまで持ちあがらなかった理由の第一は,述べた通り,既視感である。これは露骨なまでのものに思われて,このあまりに定型ふうの道具立てを用いて,何らかの企みが裏面にあるのかと疑われるほどであった。
本格のミステリー,とくに賞挑戦物となった際のこれの価値基準は,学術論文と同じでよいと私は思っている。いかに新しいことが書かれているかがすべてで,次にこれを説明する段取りや文体がいかに論理的であり,読み手を説得したかに尽きる。すでに誰かが発見し,何度も文章化されている事象が連ねられているものであれば,文体がいかに巧みであろうとも,的確で見事な語彙が操られていようとも,その文章群の価値は第一線級ではない。文章の巧拙は,学術論文の価値判断の場合,優先順位の下位だからである。
日本の論文審査の場合,このあたり判断基準がいたって,あるいは意図的にあいまいで,句読点位置の不適当や誤字脱字,繰り返し表現の指摘などが,発見や新見識の開陳と同次元に採点されがちであるということはよく言われる。清張流自然主義の介入以降,本格ミステリーの分野においても,その種のあいまいや,時として意図的な混同が,しばしば起こるようになっている。
繰り返すようだが,本格ミステリーの審査においては,文章表現や人間描写の巧拙よりも,驚きや感動の装置としての構造体設計,これらを誘導する仕掛け(トリックを大いに含む)の新しさ探しの方を,優先順位高くとるべきである。むろん構造の新味においては同レヴェルという二作を比較するのなら,これは優先順位二番目の要素,すなわち文章力等で優劣をつけざるを得ないが,そういう作業におりてしまうなら,その選考は,実り多い回のものではなかったはずである。
犯罪現場に,教師,遊女という女性の二死体が連続して現れ,これが着衣を失っており,彼女らの名前から連想した「新古今和歌集」三夕の見立てになっているらしいと解り,化粧をした上に,怨霊面を付けられている。そうならもう一体,三人目の女性が死体となるはずである。
こういう定型とも見える計画犯罪の構図が,後段にいたって,万人受けを失いたくないふうの,安全で行儀のよい白人探偵が端正な語りで解体する,構成としてはそれだけで,加えて見立てがこうした日本美の方向と知れば,どうしても既視感は来る。その後警察が活躍を始めても,既視感は依然拭われないであろう。ましてこの作の場合はそれもない。
とはいえ本格ミステリーは,謎の提示と,後段での解明,それが定型的な骨格であるから,これだけの要素でも,もっとずっと面白く,興奮的な作例にも高められるはずである。この作の場合には,犯人探しの上に,主人公の姉探しというひねりも加えられている。
やはりこの静かにすぎる前段のありようには,絵画的な女性の裸体,その連続出現,こうした発想が女性の書き手らしい行儀倒立的な発想を思わせるところに,にもかかわらず,全裸であることの説明を最小限に留めんとする女性の嗜みが発動しているがゆえかと,だんだんに思うようになった。
確かにこの前半は,多くが心配するであろうように,横溝的と言うより,長く探偵文壇を苦しめた,乱歩流の扇情発想であるのかもしれない。そうであれば,現場を芸術絵画であるとしておきたい書き手の遠慮の発動は解るのだが,いずれにしてもこの自己矛盾が,作のいささかのブレーキになっている。
今日,女性の全裸死体の出現には,それ自体の刺激性はもう乏しい。これに加えて,死体が裸であることの説明が極力控えられては,死体を裸にした意味が乏しくなっては来ないか。これだけの材料で,前段を吸引力高く持ちあげるためには,いかに気が進まないにしても,やはり現場に現れた死体が全裸であり,醜聞的な衝撃をともなっていたことへの,もっと遠慮のない描写が連ねられるべきなのであろう。この作品全体の設計意図は,無言でそうしたことを要求して感じられる。
女性の体の皮膚の白さや,青ざめた様子,そして各部位がいかにかたちのよいものであるか,あるいは場所によってこれが不充分であるのか,肌のしみや黒ずみ,下部の毛のかたちまでが気になるのが大衆というものであり,これらが書かれれば興味が湧くのは男女を問わぬ人情であろう。そして三番目に自ら進んで裸体となった女の,無言の自信も表現できる。
そののち,この情景の絵画的な美について,作者の情熱的な筆がさらに振るわれるべきなのであろう。後方に現れる,三夕の見立てであることの説明にもうまくつながるような,丁寧で美的な描写も欲しい。ミレーの名画「オフィーリア」との比較や,同種の美意識が現れているとする解説も,伏線としての効果を発揮するはずである。現状ではこれらに関して,作者の筆は意外なほどに少なく,しかもあっさりとしている。
格別路地裏に現れた全裸死体においてそうで,街中なのであるから,発見者にとっては遺体が裸である異常性が,最大の驚きのはずである。控えめな筆は,これも言わず,犠牲者が裸であったことに,数行を経過するまで気づかせない。この現場の様子に対しては,もっともっと筆が費やされ,読み手の俗な興味にも,若干の奉仕がなされるべきなのであろう。構成要素が少ないのであるから,上品さにばかりこだわっていては,作が退屈になってしまう。
また巷間の人の口は,今日の週刊誌を見ても解る通り,酒場などで事件を語る際には,例の全裸死体とか,素裸の女の死体とかの枕詞で語り,もっと下品な妄想をたくましくするように思われる。大衆の劣等感は,常に当事者たちを最も惨めにするストーリーを組むもので,これは時代を問わない人の世の姿に思われる。このあたりの描写も,ずいぶんとおとなしい。
そして見立てから類推して,まもなく三体目が現れるはずであり,この全裸死体には誰がなるのか。これは防ぎ得るのか。この点が,防ぐ方にも現す方にも,さらには死体になろうとする者にとっても,強いサスペンスを醸すはずである。ところがこの心理劇が意外なほどに存在していない。警察がいないことも,これを助長している。こういう類の静かさは,芸術志向の静寂とは別のものである。
そして現れた三番目の死体は,何故なのか落ち葉で体を隠させて奇妙であるが,これがもし当人の作為であるならば,それこそは推理の材料であるはずだし,彼女の肌や体の各部に関する最小限の描写とともに,何ごとかの語りがなされてよいのかもしれない。それによっては,落ち葉がより意味を持つかもしれない。
犠牲者当人の羞恥心に配慮した,と言いたげな発想が言い訳として用意されて,実は別のものが隠されている。こうした女性の行儀心の欺瞞を打ち砕く颯爽が,作者の選んだユディトではなかったか。そしてこの決意に似た想いが,槙なにがしの半生を,手際よく描ききらせたのではなかったか。
無難な折衷の心や,伝統的な嗜みの心に寄りかかりがちの臆病は,ある方向の創作を,時に中途半端なものにする。発狂的な徹底露悪趣味に跳ね返ることは無意味だが,ものがユディトなのであるから,妥協のラインをもっと高くに取るべきであろう。
もう一点気になったこととして,文章に漢字が多いのは,時代の空気を演出するためとして一応よいと思うが,英語ルビの多さには,首をかしげた。
この試みに関して,この作が史上初の発明であるのならよいが,一時期はやった仕掛けでもあるから,読者の大半がほう,知らなかったと言いそうなルビに限るのがよいのではないか。
誰もが知っていそうな日本語化した英単語をルビとしてさかんにふるのは,時にうるさく感じられるし,それでは英語人が探偵であることの説明にならないから,意味不明であり,充分な効果をあげていないように思われた。
しかしいずれにしても述べたようなあたりに徹底して手を加えるなら,この作も充分に出版可能なレヴェルにある。
 

優秀作

dog pound
(出版時「屋上と、犬と、ぼくたちと」に改題)若月香

梗概

『屋上の屋上』がぼくらの秘密基地だった。ぼくらはその秘密基地でゴンという犬を飼った。あの台風の日,仲間の一人が死んだ。そして犬が消えた。
だけどほんとうにゴンが消えたのか,ぼくたちの記憶から消えているだけなのか。
大切な仲間はなぜ死んでしまったのか。ぼくは五枚の不可思議なメモをきっかけに,ミステリ好きのバイト先の店長と十年ぶりに秋葉ビルを訪れる。
正直に言う。小学生の頃の初恋を,いつまでも覚えていたわけじゃない。
だけど,好きになる女の子は,いつも初恋の彼女の面影があった──。

クリスマスが近い冬のある日,一人暮らしの野村修司のアパートの新聞受けに,メモが挟まっていた。「Questionだけが残る」と書かれたメモ。それから立て続けに不可解な文句を書いたメモが届く。
それには十年前の小学校の時に修司とほか六人で,秘密基地としていた秋葉ビルの『屋上の屋上』の秘密が書かれていた。
修司のメモに興味を抱いたミステリ好きのバイト先の店長が,十年前の秋葉ビルで起こった修司の仲間のオッカの事故死について不審を抱く。正月の休みに修司と修司の故郷N市の秋葉ビルに行って,真相を突きとめようと言いだす。
二人は成人した六人と会っていくが,メモを書いた人物に行きあたらない。死んだオッカを含めた修司たち七人しか知り得ないことのはずなのに,誰がどうしてあのメモを書いたのか。
店長得意のプロファイリングで解かれていくメモの人物は,四年生の時に同じクラスだった転入生の西野ナナだったことがわかった。それは修司の初恋の相手だった。
オッカのことが好きだったナナは,修司たちが『屋上の屋上』でゴンという犬を秘密で飼っていたことを知っていた。ナナは,秋葉ビルの隣りにあるショッピングビル,ガスパの屋上から見おろしていたのだ。オッカが死んだあの台風の日も。
十年前の事故の日,オッカが秘密基地に入ったあと,ガスパから見おろすナナの目に,黒い影が『屋上の屋上』に上がっていくのが見えた。台風による突然の停電に見舞われ,それが誰だったのかわからない。そして『屋上の屋上』から落下したオッカ。誰がオッカを突き落したのか,謎を突きとめるためにナナが作ったメモだった。
店長の過去の誘拐事件とオッカ転落事故が絡み合い,意外な犯人へとつながっていく。

選評島田荘司

非常にテンポのよい文体。少年たちの様子や,彼らが成人して若者たちとなった際の会話等,現代青年群像の描写も手馴れていて,上手と感じた。この文体や巧みな描写,表現力は,もう充分に独自的であり,プロの技術領域に届いていると思う。
作内部は,この作家にしか描けない若者のやり取り,ユーモアや洒脱感覚への彼ら流の自負心,同時に抱える自信の不足,先輩への謙虚さや礼儀心に同居する奢りの心。そういうさまざまが響き合う風景が,畳み込むリズム感で手際よく描かれる世界となっている。
小学校四年生の時,そういう彼らが仲間と持っていたささやかな秘密,その秘密の内部で思いがけず起こった深刻な大事件。これが未解決のまま十年が経過して,秘密を共有する今や成人した仲間たちに,怪文書が届きはじめる。
現場はN市の駅前,秋葉ビルというさして高くない雑居ビル屋上,さらにその一角に建つネオン広告塔の上という,「屋上の屋上」という特殊な現場。ここは大きなパネルに囲まれてもいるから,周囲の視線はさらに届きにくい。足もとの秋葉ビル屋上自体からも死角になる。
大事件はここで起こったが,それもそのまま秘密となってしまった。真相が見えないままになった少年たちの事件現場は,たまたま主人公の青年がバイトしているガソリンスタンドの店長が,子供時代に巻き込まれた,これも大事件の現場でもあった。
若者たちが少年時代に直面した大事件よりも,さらに数年の昔,まさにこの場所でガソリン・スタンドの店主は事件に巻き込まれており,「屋上の屋上」は,二重構造の複雑な事件現場でもあった。
それゆえ店長は,怪文書にうながされた主人公と,現場の秋葉ビルに急行する。店長はミステリーマニアゆえに関わりたがっていると説明されるが,実はそうした裏事情があったのだと,次第に説明されていく。
こういう展開は大変魅力があるのだが,解決に向かい,いささか直線的に事態が進行していき,しかも果てしなくテンポが増していくので,少しブレーキを踏んで,周囲をもっと説明して欲しい印象が来る。この説明不足は,きちんと計算されて,のちの驚きを大きくする準備であるのか,それとも構造設計の脆弱さを隠すためのごまかしかが,次第に気になりはじめる。
このタイトルを聞いた時につい期待してしまう,俯瞰的な視線から巧みに計算設計された,もう一ランク込み入った配線図であって欲しいという期待は,読み終え,充たされずに終わってしまった印象を持つ。賞の受賞というなら,たとえばそのように,周囲の群れから頭がひとつ抜けた構図が欲しい気はしてしまう。
ユーモアをからめ,現代青年らしい今日ふうの言動を,上手に交わさせ合って語られる物語は,きわめて達者な完成度を持っていて,今後よいアイデアと,一級の設計図さえ手にできるならば,いくらでも傑作が書ける筆力であるとも感じる。その意味でまことに頼もしく,期待もできる。
しかし,その達者な筆が,着実ではあるが,時に強引なまでのステディさでリズムを打ち出すため,アップテンポに強制されて,やや一本調子な大急ぎの進行に陥ってしまった印象はある。
すなわち語り口の上手さは,同時に多くの問題点を,そのサイドに発生させてしまっているようにも読める。せっかくの面白い事件なのに,リズムにせかされて謎の構図が深まらず,ずいぶんせかせかと語られる印象。そのため,この事件自体が,実際以上に,いささか軽いものであったような印象が来てしまう。この点はやはり問題であるように思った。
再読すれば,二度目には解ってくるのだが,ミステリーの書き手がそうした再読要求をしてよいのか否かは疑問である。一度目では,物語細部,人間関係の細部,登場人物たちの具体的な動きなどがいささか不明のまま,先に進まされる場面があった。ロックンロールのリズムに乗る歌詞が大いに制限されるように,軽快テンポに乗ったこの作中世界が,否も応もなく簡略方向に向かわされるような,残念な気分が来た。
GSの店主に関する伏線もないので,彼はただのおせっかいではなく,事件の下部が二重底になっていて,子供たちの事件のさらに下方に,店主自身の子供時代の事件が存在していると解ってきても,こちらの理解が釈然としていないせいもあり,この複雑な構図の出現が,充分に心地よい驚きになって立ちあがらないきらいがあった。
仲間がプロレスの足技をかけられている描写も親切でないから,このあたりの状況が,実は重大で深刻であったと語られる後段,大きな得心が来にくい。着地地点の驚きを邪魔しない程度に,もう少し様子を書いておいてもよいように思う。
現場は秋葉ビルというビルの屋上の一角の,さらに高い場所なのだが,その隣にはガスパというもっと背の高いショッピングビルがあり,ここは屋上に観覧車などの遊興施設もある,といった位置関係も,かなり経って唐突に出てくる印象で,現場の状況説明も,やはり充分には親切でない。
こうした立地に関する説明にしても,隠しながらも伏線として提出をするもっと上手な場所は,充分探せるように思った。
作者の説明が必要な大胆さを持たないから,現場,屋上の屋上,ここに飼われている犬,台風の日にここに餌をやりにあがっていく人物,これを追い,当日あがっていったもう一人の影。ガスパビルからは,これが見おろせていた──,急ぎすぎる説明は臆病さをも加速して,こうした事件理解のための前提的な風景を,こちらの脳裏に充分浮かばせてくれないきらいがあって,この物語の何が謎であり,これから主人公たちは,何を解決せんとして行動を開始するのか,この最重要事を,あらかじめこちらに,しっかりと踏まえさせてくれない印象があった。
後半,文体のリズムはますます軽快感を増して,登場人物の名前や,その背景,性格などを完全に記憶しないで読んできていれば,次第に何が起こっているのかが不明になってくる。妊婦を階段から突き落とした,いや落とさないといった議論が出てくるが,誰がやったのか,誰がこれをやれそうか,それともそういう事件は存在しないのか,この犯罪が全体の構図にどう関わるのか,語りの手際がよすぎて,そういうことをこちらに考えさせてくれない。軽快感の演出にとらわれるあまり,説明不足が目立ちはじめて,必要な情報さえ,次第に削げ落ちていくような印象を持った。
ただし,全体を単なるユーモア冒険小説という仕立てにして,本格ものかと身構える読者に肩すかしを食らわし,無造作に書いた多くの材料を見落とさせておいて,結部で実は本格ものであったとして真相を語って驚かすという企みなら,是非あって欲しいと思うし,うまくやれば鋭い隠蔽の企てとして,作を歴史に遺せるとも考える。そういう方向で考えてみても,やはり少々頑張りと計算が足りないと感じられた。
最後まで,事件の時に少年たちが飼っていた犬はどうなったのかがしっかりとは語られず,気になった。
裏のドラマは,ぼんやりとは見当がつくものの,読み終わってもこの理解でよかったものかどうかの確信が来ない。この消化不良もまた,急ぎすぎる語り口の犠牲かと思われて,そういういっさいが,本格ミステリーの表現としては,いささかフェアプレー態度の不足と映った。
タイトルから考えても,この犬はもう少し注目されてよいし,主役的位置に押し上げられてもよいように思う。作者の脳裏には,むろんGS店主の子供時代の事件とのダブルミーニングがあるのだが,さらに重要にして,巧みな処理の切り口がありそうに感じる。
謎解明のための材料の提出を,読み手の看破を恐れて可能な限り制限したいという臆病さと,謎解きには直接関係しない,テンポ捻出のための説明の削げ落ちが,混同されているきらいがある。あるいは意図して連動させられている。そして多くの必要パーツが隠されすぎている。
作者の獲得しているリズミックな描写力が,隠蔽に活用されていそうな構造が感じられ,総合作用でどんどん安全方向に隠蔽が進行した経過が疑われて,せっかく面白い筋の映画に,どんどんモザイクが入ってきて話が不明になるような印象。これはもうこの作者の体質に育っているように思われるから,この書き手が今後どのようなジャンルに着地しようとも,この体質は小説を釈然としない方向に向かわせ,面白くはしない要素と思われるから心配した。
どんな話であれ視界はクリアで,説明は手際よく,しかしあらん限り親切でなくてはならない。説明相手の読者は,自分の文体や思想と,相性の悪い人をより多く含んでいると考えなくてはならない。
しかし本格読みとしては首を傾げながらも,この物語をテンポよく,面白く読んだことは確かである。テンポのよい楽しさという意味では候補作中随一である。出版を考えた場合には,もう少し親切な描写と,読者に真相を見抜かれることを恐れない,大胆な語りに全体を修正する必要があると感じた。しかしそうすれば,充分に出版可能なレヴェルにある。

優秀作

ビリーバーの賛歌
(出版時「旧校舎は茜色の迷宮」に改題)明利英司

梗概

近年注目されている都市伝説,怪談,占い,などを懐疑的視点で取り入れたミステリー。
「白石秋美」が通う高校では,一年前,旧校舎の一室で女性教師,「宇津木朋子」が殺された。しかし犯人はまだ捕まっていない。
秋美は,歴史の授業中,「部屋に幽霊らしき影が現れた」と話したことをきっかけに,学園のアイドルである男子二人,生徒会長の「木吉吾郎」,空手部の「渋谷新司」と面識を持つ。木吉は幽霊など信じない懐疑論者であり,渋谷は幽霊を探し求めるビリーバーであった。
後日,懇意にしていた教師である「小垣茂」が,一年前,宇津木朋子が殺された旧校舎の一室から飛びおりて死亡する。警察はなかなか解決しない去年の事件を終わらせるべく,「宇津木を殺したのは小垣で,呵責に苦しみ自殺した」というストーリーを敷いた。一応の根拠として,とある喫茶店で二人が言い争っていたという事実が存在した。
しかし,いくつかの違和感からその自殺に疑問を抱いた刑事の楠木は,独自のやり方で真相に迫っていく。そして小垣と懇意にしていた秋美,そして木吉と渋谷の三人も,事件の調査に乗り出した。
嘘ばかりの占い館,UFOオタクが集うオフ会,捜査はさまざまな場所を経て,真実へと向かいはじめる。

選評島田荘司

青春時代の喜びや痛み,恐れを,明るい読みやすい文体で綴る学園もの,といった体裁の小説であり,中心軸にキラキラした視線の,可愛く,傷つきやすく,性格のよい女子高生,秋美を置いて主旋律を語らせる構図は,少女漫画形式の器とも言える。
登場する男子生徒たちは,生徒会長でイケメンの木吉,空手部のエースでイケメンの渋谷,年長男性も,化学の教師で,独身で顔がよく,性格も,教育者としての信念も,自己犠牲の精神も持つ教師小垣。颯爽として行動力があり,高校生にも決して威張ることをしない魅力ある刑事楠木など,女性たちにとって夢のある世界に,彼らがしている。
一方女性の登場人物の性質はリアルで生々しく,たった一年早く生まれたというだけで,板についた見下し態度を取り続ける先輩女子から,嘘つきで信用ならない女性のライター,知り合いの母親で,女の見栄を,不退転の決意で推進する威張りおばさんなど,存分に散りばめて,読み手にやり切れなさと不快感を定期的に醸してくる手法は,これは見事というべきで,この方向への興味と,アプローチへの手馴れさ加減を感じさせて,この書き手は男性なのだそうだから,大変に感心した。
やはりこれは世代というもので,われわれがデビューした当時,先輩作家でこのように,ある計算とともに女性発想を演繹敷衍し,これに向けて,美醜併せて上手に女性世界を描く男性作家は,存在しないと言ってよいくらいにまれであった。私などが書けば,唖然の視線とともにさかんにバッシングを浴びたもので,近頃の書き手は,体質としての女性たちの損得勘定や,集団となった際の世界の厳しさをよく知っている。
殺害された実の娘に関して,犯人捜査より,家柄と世間体を鑑み,嘘の解決案の方が得であればこれを強く推進する母親の発想,そしてこれが議論不要の理の当然と見做してたくましく生きる女性の強い道徳信念は,戦国大名や,暴力団の反社会性ともシンクロし,かつ霞ませてしまうほどの強さが存在して,年長女性のこの毅然たる損得態度には,主人公の女子高生も敬語とともに恐れ入るばかりで,かすかな反発さえも許されていない。
主人公が怒りを見せるのは,大好きであった父を裏切り,別の男と女の喜びを得ていた実母に対してばかりで,両者の量刑の比較と,この誤った優先順位設定が,点検さえ許されない女性世界の正義のゆがみというものには,作者は告発の元気さえ喪失している。こういうちょっとした細部にも,定型の器を借りたさりげない問題提起が光る。
ひと頃はやった学校の幽霊譚,そしてUFOや都市伝説を追いかける青春もの,といったジャンルを借りてスタートするが,その定型で終始するかと予想するこちらの思いをどんどん越えて,複雑な人間関係の闇の領域にまでおりていって展開を始める手法には,なかなか吸引される力量があった。
高校生と教師との恋愛,それも女性教師と男子生徒との恋愛といったものが,もはやタブーでもなんでもなく,ごく自然に語られているあたりに新味を感じる。しかしそれはこちらが,この方向の物語に疎いゆえで,もはや時代はここまで前進しているものかもしれない。
そしてこれらの闇が,ひとたび事件に発展する時,複雑な人間関係の内部で,当事者たちの俗な思惑が発動し,正しい理解よりもむしろ誤解が暴走して,あらん限りに事態をもつれさせ,起きなくてもよい事件を連続させていく経過は,上手な設計である。そして後段において,そうしてもつれた糸をほどき,行う解明説明には,醍醐味がある。
またこの作の手柄として,四作中唯一,輪郭のはっきりした大きなトリックが殺人に用いられ,現場に謎を作っていることは,本格の本道を往く作として,非常に好感が持てる。
ただこのトリックは,これならば充分想定通りの事態を起こし得るであろうと説得される半面,原理まで溯れば前例があり,決して新しいものではない。用いる際,新たな手当が加えられているから新しく感じられ,充分なプラス点とはなるものの,それは通常の出版物の場合であって,新人賞の受賞作に相当するまでに突出しているかと問われると,微妙なところではある。
また二人の美女,村井紗耶香と宇津木教諭であるが,村井が美人型のプライドから言動が冷たく,蝋人形と称されるのはよいとしても,宇津木が村井に,これから死ぬとホテルから小垣教諭に電話をかけさせ,呼び寄せて一緒にホテルから出てくるところを写真に撮り,これで小垣を脅迫して金銭を要求するというやり口はどうなのか。古典的という以前に,あまりに簡単であり,下品にすぎる思いつきであり,類型的で低レヴェルなので,このあたりも評価の俎上載せてよいものか否かが悩まれた。
むろんこれは,宇津木がつきあっている男の思想レヴェルを語るものとも言えるが,このような古典的な手口で,高い知性があるはずの小垣が簡単に引っかかるものなのか。男一人でラヴホテルに入るのは,それなりに大変である。
さらにこのような作為の動機が,美しい女性教諭がパチンコをやめられずに闇金に借金がかさんでいたから,とするのは奥様ワイドショー・レヴェルの感覚で,果たしてリアルなものなのか。かつてそのような某女性作家が,ワイドショーに登場して涙の告白をしていたようなおぼろな記憶はあるが,あれは台本ありのやらせの可能性が高く,私は未だに信じていない。視聴の主婦連合も,まともな層は薄々やらせと知って楽しんでいるのではないか。
物語の中心軸となる連続殺人の発端がこれで,これを防ごうとした過失の殺人,続いてこれに報復しようとして相手を誤認する殺人,という具合にどんどんもつれていくのだが,それらすべての核の部分には,三流エロ週刊誌の囲み記事も遠慮しそうな,簡単下品な発想があった。
ひどい減点対象となすわけではないが,解きほぐした難事件の中心部に隠れていたタネが,実はこういうチープなものであったという事実は,全体の印象を今ひとつ高級にしなかったという印象は持ってしまった。
美人であるというだけで,教育者たる女性が,ここまで完璧な愚か者の役を割り振られては,この物語もまた,三面セックス記事を発展させた,週刊誌の単発穴埋め読み物の長編版のような,安い印象に全体を引っ張ってしまったきらいは,理屈を越えて感じてしまった。
もう一点気になったことは,実は殺人を犯していた,それも女生徒が,果たして知らん顔で男の子たちの素人探偵団に加わり,自分を探り当てかねないのに真剣に現場を歩いたり,聞き込みをしたりできるものか。この点は少々ビリーヴァブルとは言いがたく感じた。こういう事情は,犯人が加わった男子生徒の場合も同様である。意外な犯人の演出という結部のために,書き手が無理をした印象は残る。
それから,あとは些末になるが,刑事がバーカウンターでアルコールを傾けながら自分の聞き込みを回想する場面,回想場面と,現時点シーンとのつなぎ目部分に言葉が足りないため,この場面の仕掛けが,書き手が思うほどにはうまくキレを発揮していないと感じた。ここはもっと上手に,少ない言葉を使って,つい没入しがちの読者の思いに都度ショックを起こさせ,操るべきであろう。
それからこの書き手は,「首をかしげる」を,ただ「かしげる」,「目を凝らしてみる」を,ただ「凝らしてみる」,と書く癖がある。「かしげる」はたびたび現れて気になったので,彼の将来のために指摘しておきたい。
後者はすぐに修正がきく種類のものだが,前者は構造にかかわるから,もう手を入れがたい。
しかしともあれ,面白く,楽しい読み物であったことはあきらかであり,これもまた,出版されてもよい作品である。

第1次選考通過作品

寡婦の息子河谷眞

選評担当編集者

キリスト教早期伝来説を証明づける「物証」を追う,というトンデモ話をベースにしていながら,かなりの点で整合性が取れていて興味深いです。キャラクター設定もうまいが,密室トリックがあまりにも稚拙で残念でした。

第1次選考通過作品

東京スカイツリー殺人事件遠野有人

選評担当編集者

スカイツリーでなければならない必然性がありません。謎も少なく,小さく,全体的にこぢんまりとまとまっている印象。仕掛けや驚きが足りないと感じました。

第1次選考通過作品

暗愚な野良犬谷門展法

選評担当編集者

警察組織を舞台としたストーリーやトリックが大がかりで、ドラマ性はあったのですが、その分細部の甘さが目立ちました。同表現の多出など,癖のある文体にはややくどい部分が多いようにも感じました。もっと冷静な視点での執筆ができるといいと思います。キャラクタライズはしっかりできていました。

第1次選考通過作品

何も思い出せない桐島裕

選評担当編集者

どんでん返しの連続,ミスリードのうまさには惹かれるものがありますが,トラウマ,催眠術,洗脳,二重人格などのオンパレードになってしまうと,辟易してしまいます。

第6回 選考過程・選評応募総数60

第1次選考通過作品

ネイピアの声を聞かせて紫月悠詩

選評担当編集者

魅力的な設定,独自の世界観を作り上げています。しかし,トリックは凡庸で,壮大なテーマなだけにがっかりしました。そもそも「神に近い曲」がどれだけすごいものなのかがわかりませんでした。

第1次選考通過作品

あなたが私に歌うことを教えてくれた赤池秀文

選評担当編集者

謎を大きく複雑にしようという意気込みはすばらしいと思います。ただ,盛り込んだ要素が多い分,説明が長くなりすぎてしまったことと,謎の中心がぶれているのが残念に感じました。

第1次選考通過作品

K大学の殺人杉浦由規

選評担当編集者

一貫して犯人捜しが焦点となる純粋なミステリーで,楽しんで読むことができましたが,最初から矛盾点が多く,無理筋な小説となっています。謎解きにはリアリティも必要です。推敲時に細かく見直すようにしましょう。

第1次選考通過作品

師走のコウモリ獅生啓翔

選評担当編集者

トリックや細かいネタについて,しっかりと考えられていると感じましたが,鬼塚組のダークサイドや警察との癒着についてなど基本設定がさらりと流されており,納得しきれない部分が残りました。

第1次選考通過作品

A Fortune Teller・或る占い師長坂伊佐夫

選評担当編集者

全体を捉えづらいのは,構成に難があるのか。視点人物の混同は措くとしても,過去と現在が結びついたところで驚きや感動があるわけでもなく,ミステリー的な仕掛けがきちっと施されているわけでもなく,物足りない感じがしました。

第1次選考通過作品

金木犀は二度咲く福田純二

選評担当編集者

レトロな世界観そのものは完成されていましたが,肝心のミステリー部分が物語にうまく組み込まれていないように感じました。トリックにやや無理があったように思います。また感情表現や説明も多いので,もう少し読者に想像させる余白を残したほうがいいのではないでしょうか。

第1次選考通過作品

逆位置の恋人河上雅哉

選評担当編集者

タロットカードに重ねたストーリー展開はよく工夫されていて,ミステリーとしての意欲を感じます。しかしカルト集団の存在や,謎解きの独白にはやや独善的な印象を受けました。また人物造形に難があるように思い,リアリティを感じることができませんでした。

第1次選考通過作品

凱旋なき王城のためのオラトリオ齋藤稔

選評担当編集者

戦時中の謎をテーマにした陰鬱なムードには読ませられました。しかしミステリーとしては意外性があまりなく,真犯人も予想できてしまい残念でした。またそれらが淡々と展開していく印象なので,人間関係を丁寧に描くなど,物語性をもう少し深められれば良かったと思います。

第6回 選考過程・選評応募総数60

第1次選考通過作品

模型飛行機はどこへ行ったのか上村桂介

選評担当編集者

不思議な建物の敷地内に「転落死」した男と真っ黒な怪物とともに消えた模型飛行機の謎。物語が全体にばらばらで,どこに芯があるのか分かりません。アイデアや仕掛けには面白いものがありますが,穴が多すぎるのでは。探偵役もいかにもなキャラで新味がありませんでした。

第1次選考通過作品

おやすみコタロウ宮代匠

選評担当編集者

戦中戦後のアメリカの日本人がたどった数奇な運命を「現在」からひもとくとてもスケール感のある物語。しかし物語の肉付けの部分が盛りすぎのような気がします。またあえてかもしれませんが翻訳調が気になります。長い物語はそれなりに読みやすさを考えなければ読者が置いてけぼりになります。