受賞者・優秀作者の紹介

島田荘司選 ばらまち福山ミステリー文学新人賞では,受賞作品は協力出版社から即時出版されることになっています。
また、特別に設けられた優秀作も,随時,協力出版社から出版されています。
ここでは、今までの受賞者・優秀作者のその後の活動等を紹介します。

叶紙器(かのうしき)

1965年、大阪府生まれ。大阪府在住。会社員。

第2回受賞作

伽羅の橋

2010年3月 光文社

 介護老人保健施設の職員・四条典座は、認知症の老人・安土マサヲと出会い、その凄惨な過去を知る。昭和二十年八月十四日、大阪を最大の空襲が襲った終戦前日、マサヲは夫と子供二人を殺し、首を刎ねたという―穏やかそうなマサヲが何故そんなことをしたのか?典座は調査を進めるうちに彼女の無実を確信し、冤罪を晴らす決意をする。死んだはずの夫からの大量の手紙、犯行時刻に別の場所でマサヲを目撃したという証言、大阪大空襲を描いた一編の不思議な詩…様々な事実を積み重ね、典座にある推理が浮かんだそのとき、大阪の町を未曾有の災害・阪神大震災が襲う―!!時を経た大戦下の悲劇を、胸がすくようなダイナミックな展開で解き明かしてゆく、人間味溢れる本格ミステリー。

著者よりひとこと

 この『伽羅の橋』は、いちど下書きをしているのですが、その間も不安で不安でしかたがありませんでした。
こんなことを書いていいのだろうか、実直に足で稼ぐ調査が本格を名乗るにふさわしいだろうか、後半で話の性格が変わってしまうけどいいのだろうか。
そんな内容もさることながら、その分量と構成に、自分自身がひるんでしまったのです。なんといっても、下書きの段階で、三百枚ありましたから。
特に、活劇シーンで終わるという締め括りは、前半と全く違う話の展開にもなるため、長編二本を同時に書くようなものでした。無難に済ます方法もあるだろうから、分不相応なことはやめて推理ものの本分を尽くそう。そうも思いました。
ではなぜ書いたのか。
これは、なぜ福ミスに応募したのか、ということに密接に関係しています。それは実に単純なことで、私にとって最も選考基準の分かりやすい賞だったからです。
島田荘司を驚かせること。
それだけを目指せば、応募資格を得られるのです。他に何も考える必要はありません。ただ、そこにあるハードルは、高いのだろうとは分かっても、どれだけの高さをクリアしなければならないか、は見当も付きません。
乾坤一擲を持っていこう。
それしかないと思いました。できる全てを込めよう、そう決心しました。だからこそ、活劇シーンは採用されたのです。
どれだけの高みにのぼれたか、書いたあともなお不安です。
次のハードルを越えれば、少しは分かるのでしょうか。(2011年6月)

近 況

 以前、認知を患った伯母の部屋を整理したら電子辞書が六つも出てきた、と書いたことがありました。そんな彼女は肺に水が溜まり入院先から元の老人ホームに帰ることになりました。そこで最後を迎えましょう、と。家族のいない彼女に、私が病院から部屋まで付き添いました。
「あぇいぃあぃ」と、伯母は私の手を取り訴えます。でも滑舌が悪く、どうしても聞き取れません。仕方なくその様子を動画に撮り、手を振りほどくようにして大阪に帰りました。伯母の言葉を父親に報告したその時でした、私の携帯が鳴ったのは。出ると老人ホームの職員からでした。
「つい先ほど〇子様が亡くなりました」と伯母の死を知らせるのです。急いで神戸に戻ると、ドクターが急変した経緯を説明してくれました。
 葬儀を済ませ、いとこ達に伯母の最後の動画を見せたのですが――。
「帰りたい、言うてるやん」と叱られ、ぞっとしました。この言葉を振り切って帰ったのか、と。以降はもう、帰りたいとしか聞こえなくなりました。
 後日、伯母の部屋を訪れると、一冊のノートが出てきました。十三~十四年前、認知症に対抗し書き始めたのでしょう。読み進むと、「〇〇の本が読めない」とありました。私の受賞作のことです。伯母は、私の本を読むべく電子手帳を買い足し買い足し認知症に抗ったのです。それ以来、私は毎晩仏壇に手を合わせるようになりました。(2024年3月)

著作品一覧

伽羅の橋(2010年3月 光文社/2013年2月 光文社文庫)
回廊の鬼(2014年4月 光文社)
美しすぎる教育評論家の依頼 よろず請負業さくら屋(2019年6月 光文社)